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こんな普通のことがこんなに嬉しい

「友達の家」とかけまして、
「書き残してあったのか」と解きます。
その心は、いぶんか。
#
異文化
#
遺文か
#他人の家は異文化


三女が友達の家に行きました。

こんな普通のことがこんなに嬉しいとは思いませんでした。

夏休み期間中の毎週土曜日、相談室登校の仲間が集まって勉強会をすることになったようです。

いつ以来だろう?
三女が友達の家に遊びに行くのは。
元々出不精なので小さい頃から友達と外で遊ぶということは滅多にありませんでした。
それでも小学校の低学年の頃にはちょくちょく外で遊んでいました。
友達を家に呼んでいることもありました。

それがいつの間にか外に出ることはほとんどなくなり、中学に入ると一番仲のいいひとりの友人と一緒にいることが多くなります。
しかし放課後や休みの日に一緒に遊ぶというようなことはなくなり、とうとうその友達と別れてしまうと学校にも行けなくなってしまいました。

その三女が友達の家で勉強会なんて・・・
嬉しいと同時にホッとしました。

どうやら相談室の担当の先生が提案したようです。
それでもいいんです。

どんなに小さくてもコミュニティを作り、そこに参加することは生きていく上で必須です。
反社会的なものは流石にいただけませんが、そのコミュニティにいることで本人の存在意義を確かめることができます。
自分はそこにいていいんだ、と思ってくれればいいのです。

本人は相変わらずちょっと不貞腐れたような表情で、面倒臭そうに出かけていきましたが、出かける時刻よりも10分ほど前にしっかりと準備を整えているあたりから、おそらく心待ちにしているようです。

つい親としても嬉しくなり、友達の家に持っていくお菓子を買ってあげたりしてしまいました。
中学3年生なのに。

何はともあれ、この新しいコミュニティが娘にとって将来的に有意義なものであってほしいと願います。

相談室の先生は、自分が中学生の頃の教師でもあった人です。
深く感謝です。
今は再任用でわずかな時間しか来ていないようですが、必ずお礼に伺います。

あとは娘の頑張り次第。
応援するだけです。

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