「人生という超長編作品」
人はそれぞれ違う人生という物語やドラマ、映画の中で生きている。一人一人が主人公の超長編大作品の中でずっと主役を張り続けているんだ。
だからたまに街行く人を見て「この人はこの人なりの人生という物語があって、主役としてストーリーが描かれていくんだ」と思うこともしばしば。中二病なのかもしれない笑
そう。自分が「自分」という物語の主役。
それに合わせて「主役をうまく立たせよう」と周りも動いている。
だから他人に流されちゃいけない(なんといっても主役だし)。自分の人生なんだから他人の評価軸に捉われる必要などなく、いつでも、そしていつまでも自分中心でいいのだ。
自分中心。つまり自己中心。
んー、「自己中」という言葉は結構悪口として用いられる事がある。相手のことを考えずに行動している人たちのことだ。
でも、よくよく考えてみると人はみんな自己中だ。いつも見える世界は自分の目から見えている景色。自分の脳で考え行動している。自分が世界の中心なんだよね。
自己中は良いことだと思う。他人のことを考えずに我が道を行く。これは成功への一番の近道だ。人のことを考える余裕はない。僕らの人生は長いようで短く、いつ終わるのかも知る事ができない。
そんな貴重な自分の人生の時間を他人に費やすのは時間の無駄だ。
つまるところ人はみんな「他人のことは考えず、常に自分のことだけを考える」という究極の方法を活用すると良い。過去の偉人たちはこういう「自己中感」が強かったから偉業を成し遂げる事ができた。
自己中になったら周りから浮き、時には嫌われるかもしれない。でもさっきも言ったように他人のことを考える時間の代わりに自己中の自分にどんどん投資していく事が大事だ。
だからって僕は友達や同僚に迷惑をかけてまで自己中を貫く必要はないと思っている。持ちつ持たれつがこの人生なんだからね。
ここまできて正解が曖昧になってきた。
あー、もともと正解がないのか。この人生。
自分という物語は一度もカメラのフィルムが止まらない。
ずっと主役。監督も兼任である。監督兼主役。いいね。
花形なんだからもっと堂々としていよう。
ここはもっとキザにカッコつけてもいいのかな。いいよね。主役なんだし。
喜怒哀楽を駆使してこの物語をカラフルに色付ける。
ビビットにポップにパステルにマカロンにアースにモノトーンに。
大ヒットはいらない。自分が納得するまで作りたいものを作るんだ。
無事にクランクアップで花束をもらうまで。