「死に向かって生きる」という実感を手にした1冊 ノルウェイの森
学校を卒業して初めての職場は、特別養護老人ホーム。
いわゆる老人ホームで、100人の高齢者が住み暮らしていた。
新卒者は必ず介護職からキャリアをスタートさせるのが、法人の方針だったので、24時間365日のシフト勤務で介護職として働き始めた。
「福祉」の勉強はしてきたが、「介護」の勉強はほぼしてこなかったので、あわあわ、右往左往しながら、一から高齢者、先輩、上司に教えてもらった。振り返って、色々な意味で、自分の基盤だと思う年月。
老人ホームなので、自分がお世話をした高齢者が亡くなるのは日常。
初めて食事介助をさせてもらった100歳を超えたおばあさんが、2日休んで出勤したら、亡くなられていた。
自分が触れた人が亡くなってしまったことも、
先輩方が「何事もなかったかのように」日常業務をこなしていることも、
死があまりにも日常であることも。
全てが、言葉にならない衝撃だった。
驚きなのか、怒りなのか、悲しみなのか。
今でも、上手く当てはまる言葉が見つからない。
そして今なら、「何事もなかった」わけではないと切に思う。
働き始めてから、ずっと福祉畑にいるせいもあるのか、「人はなぜ生きねばならないのか」という問いは、いつも心の中にある。
でも、死を初めて意識し、そしていつも死が身近にあった20代の頃、この問いは、今よりずっと切実な問いだった。
昔から本を読むのが好きなので、「本棚」があると覗き込む。
新卒で入った特別養護老人ホームの会議室には、ささやかな本棚があった。
普段は、あまり馴染みのない部屋。なぜその時、会議室に入ったのか、覚えていないけれど。そこでこの本を手に取った夕暮れ時を、よく覚えている。
「ノルウェイの森」の上巻。
10代の頃読んで、さっぱり良さがわからなくて、読んだ記憶はあっても、内容は思い出せない本。
そおっと持ち帰って(借りて良いのかわからなかった)、読んでみた。
夢中になって、下巻を買いに行った。
小説の中では、死が生の隣にあった。
ドラマもなく、越えるべき段差もなく、生きていれば誰もが死ぬのだ。
死が生の地続きであるという発見は、当時の自分の中にすとんと落ちて、こころの一部を楽にしてくれた。
人は誰もが死に向かって生きている。
死に向かって生きるからこそ、必死に生きるのだ。
今の仕事は、その最期に関わることができる仕事なのだ。
その想いは、意識はしていなかったけれど、ずっと自分を支えてくれた。
その後も今に至るまで、折々読み返し、都度こころに残る文章や気持ちは違ったりするけれど。
今でも変わらず大事な一冊。