子どもの頃の私、息子と娘のこと
私には8歳の息子と3歳の娘がいます。
「普段、仕事で子どもたちを保育して、帰ってからもお子さんとかかわって…で疲れません?」と尋ねられることがあるのですが、「子どもが好きなので基本楽しいです!そりゃあ、時には疲れることもありますけど」と答えています。
子どもの頃の私は、人の顔色を伺う子どもでした。
父は厳しい、というかキツい人で自分の感情をそのままぶつけて怒ったり、怒鳴ったりする人でした。
怒られないように、怒鳴られないように、ということを気にして生活するなかで、いつしか私は人の顔色ばかりを伺うようになっていました。
「今は怒ってないかな」「こんなことしたらどう思われるだろう」常にそんなことばかりを考え、顔色を伺いながらの生活は子どもながらに息苦しく、しんどいものでした。
母が父からそうした感情をぶつけられて涙することもしばしばで、「大きくなったら僕が守るから」と言いながら、今、守る力が自分にあればいいのにと思ったものでした。
小学生の時、親から愛されてるということを感じたかった私は、「ねえ、お母さん。お父さんと僕が溺れてたらどっちを助ける?」と唐突に母に尋ねました。
私は「もちろんあなたよ」「あなたが大好きだから」という言葉を求めていましたし、そういう言葉が返ってくるものだと思っていました。
ところが予想に反して、返ってきたのは「選べない」という一言。
そう話す母の思いも今なら分かりますが、あの頃の私は″欲しい言葉はそれじゃない!″と思いました。
そして、しつこく「どっちかしか助けられないの!2人はダメなの」と、どちらかの選択を迫りました。
あまりに食い下がる私に、母は…
「そしたら、お父さんかな」と答えました。
その瞬間、目の前が真っ暗になり、自分を支えていた何かが崩れていくのを感じました。
「なんでなの!?」と言う私に、「お父さんがいたからあなたが生まれてきたんだし、お父さんは大切なのよって言いたかっただけなんだけど」と答えました。
母がそれほど深く考えずに放った言葉に、7歳の私は傷つきました。
その後、どんな風に育っていったのかはここではふれませんが、そんな私も大人になり、家庭を持ち、2人の子どもの親となりました。
子どもが生まれた時、自分は子どもに「大好きだよ」と言葉にして伝えよう、「生まれてきてくれて嬉しかった」と伝えられる親でいよう、と思いました。
それは、あの時聞きたかった言葉を自分はちゃんと言葉にして子どもに伝えよう、と思ったから。
仕事から帰ったら、子どもを誘って寝室の布団の上で寝転びながら、その日にあったことを話す時間をできるだけ持つようにしています。
布団でごろ~んと寝転び、顔を見て「生まれてきてくれてありがとう」と言うと、3歳の娘は屈託ない表情で「いいえー。どういたしまして」と答えます(笑)。
8歳の息子は「僕もお父さんとのとこに生まれてきてよかった」と笑顔で答えてくれます。
あとどれぐらい、2人とこんな時間を過ごせるのか。
もう少ししたら、「恥ずかしいしもういいよ」と言われるかもしれないな、とも思ったり…。
この時間は自分にとっての癒しで、「幸せだなあ」と思える時間になっています。
2人が成長して自分から離れていくその時まで、大好きだと伝えて子どもたちを抱きしめるこの時間を大切にしていけたら…と思っています。