ライブに行きたい #スキな3曲を熱く語る

本稿はnote主催、Spotify後援の企画「#スキな3曲を熱く語る」(2021/09/21~2021/10/17)に応募したものです。

ライブに行きたい。

アーティストにステージ上から煽られて、軽率に絶叫したい。初めて参加した人が困惑するような、意味不明なフレーズをコール&レスポンスしたい。
MCでゲラゲラ笑いたい。会場全体で、フロアを揺るがすような大合唱がしたい。
終演後は自分と同じくらいの熱量を持つファンと、深夜まで感想を語り倒したい。

いつになったらそんな日が来るだろうか。
ライブというものを取り巻く状況がこんなことになるなんて、予想もしていなかった日々を回想しなければやっていられない。

※特に断りがない限り、リンク先はSpotifyとしています。
※それぞれの項目に関連性はありません。好きなところから読んでください。

怠惰とC&R - 内臓ありますか / ピノキオピー


2019年3月30日、恵比寿BATICAにて。私はピノキオピー"五臓六腑"ツアー、の序章的位置づけライブ、"説明会"に参加した。

ピノキオピーは2009年より、ボーカロイドを起用したオリジナル曲を動画サイトに発表し、その才能を世に知らしめてきた。いわゆる「ボカロP」だ。シニカルだがどこか温かみのある歌詞、シンプルながら奥行きのあるエレクトロサウンドが国内外で人気を集め、長年にわたって、ボーカロイドシーン、ひいてはネット音楽シーンを代表する作家であり続けている。
ボーカロイドの世界では珍しい、精力的にワンマンライブを行うアーティストでもある。ライブスタイルは、ボーカロイド(初音ミク)と本人が共に歌唱する個性的なもので、根強いファンが多い。私もその根強いファンの一人で、遠方から片道10時間かけて恵比寿へ向かった。

開場待ちの行列に2列で並んでいると、隣の人が声をかけてきた。全然知らない人だった。すぐ打ち解けて、開演まで雑談した。
いわく、ピノキオピーの曲は昔からずっと聴いていて、励まされてきた、と。具体的なエピソードを、ご自身の半生と併せて語ってくれたが、重すぎるので割愛する。とはいえ、話にはおおいに共感できた。私も、中2でピノキオピーに出会ってから、人生に完璧に絶望していたとき、進むべき方向に迷ったとき、そのたびに彼の音楽を聴いて、命をつないできたためだ。

ドリンクを手に取り、ライブがスタート。初っ端から会場が熱気で満ち溢れて、春先だってのに暑かった。狭いハコにけっこうな人数が入ってしまったので、直前に酸欠でぶっ倒れて運ばれる人が出た。

全ての曲目を終え、客席を通ってハケていくピノキオピー。そこに一瞬でも触れようと、客たちの腕が伸びる。私も触れた。ピノキオピーの皮膚は厚くて、弾力があった。
中身がぎっしり詰まっているのに柔らかい。焼きたてのクリームパンみたいだった。

終演後、ライブ参加者のうち、事前にツイッターで約束していた10名くらいと飲んだ。大半の人はアルコールを入れていたが、私は高校生だったからウーロン茶を飲んだ。宿泊先の門限もあり、1時間くらいしかいられなかった。同好の士と会えたことに感激して語彙力が飛び、ピノキオピーの話は全然できなかった。
あっという間に時間が来てしまう。今日の礼を述べながら、千円札を数枚取り出した。とたん、このオフ会の主催者をはじめとした大人たちが、「高校生に払わせるわけにいかないですよ!」「今日はおごりです、気をつけて帰ってくださいね」などと口々に言う。優しさに涙が出そうになりながら、居酒屋を後にした。

内臓ありますか』は同年の1月、このライブの2か月前にネット上で発表されたピノキオピーの楽曲である。"五臓六腑"というツアー名の由来にもなった(と思われる)、このツアーにおけるキーとなる曲だ。Bメロからサビにかけては、こんな調子である。

今日もみなさん やりたくないことばかりやってますか(はい)
内心 舌打ちしながら ペコペコ頭下げてますか (はい)
君は善人ですか?(はい)やっぱり悪人ですか?(はい)
関係ないけど 今夜は楽しい パーティーいきますか

血も涙もないけど 優しい気持ちも足りないけど 
バラバラの思想ぶつかっても みんな 内臓ありますか(はい)
君がいなくなっても よくあることだと割り切っても
身体が萎むくらい泣いても みんな 
内臓ありますか はい はい

社会を蝶のようにふわりと嘲笑い、返す刀で関係ないと呟き、聴き手を日常から非日常の世界に引きずり込む。でも疑問形は崩さない。常に自分の頭で決断することを迫る。
緊迫した知的な戦闘のようでもあり、無条件の抱擁のようでもある。人を食ったような、台風の目みたいなことばが、チルで食べやすい音に乗っかって最短距離で届く。

「(はい)」と表記しているところは、オリジナルの音源ではSoftalk(通称"ゆっくり")が発音しているが、ライブでは観客のセリフだ。ライブ版なら瞭然だが、

ピノキオピー「今日もみなさん、やりたくないことばかりやってますかぁ!?」
観客「はーい!」
ピノキオピー「内心舌打ちしながら、ペコペコ頭下げてますかぁ!?」
観客「はーい!!」
ピノキオピー「みんな、内臓ありますか!?」
観客「はい!!」

これである。こんなコール&レスポンスが他にあるだろうか?

今日もみなさん、やりたくないことばかりやってますか?なんでやりたくないことばかりやってんの?どうしてやめないの?

私は、人生のいろいろなことを「自分で選んだから」と納得しながらやっている。学校や会社は辛いけど、自分がそこに入りたくて入ったのだから。友達付き合いはめんどいけど、「コミュ力低いって思われるよりはマシ」と考えたのは自分だから。
弱音を吐くとすぐに、「お前の選んだことなんだから」「嫌なら辞めればいいじゃないか。辞めるのだけはいやだ?なら、やるしかないんでしょう?」と、脳内の自分がお説教をしてくる。それは圧倒的に正しい。でも、それでもやりたくないものはやりたくないのである。正直、人生の大半はやりたくないことで埋まっているのである。
そんな自己矛盾が、ライブハウスで「はい!!」と叫ぶとき、まるごと全部肯定されるような感覚になるのだ。誰によって肯定されているのかはわからない。ピノキオピーかもしれないし、私自身かもしれない。
確かなのは、それによってほんのちょっと、呼吸が楽になることだけだ。どうしようもない生活でも、この体には内臓があるという、当たり前の確認を通して。

オタクの初期衝動 - 8823 / スピッツ


2014年7月31日、日本武道館。思い出深い日付だ。私が人生で初めて、「ライブコンサート」というものを経験した日である。小学6年生だった。
スピッツ"FESTIVARENA"ツアーの目玉。今なお日本の音楽シーンの第一線でリードする、まさに生ける伝説のロックバンドが、結成27年目にして、初の武道館ライブ。ファンはもちろん、芸能マスコミからの注目度も高かった。なにせ、かつてスピッツは「武道館では絶対にライブをやらない」と公言していたのだ。口さがないwebライター達により、解散説まで流れる始末だった。

延べ4日間の公演初日、彼らは、

田村明浩「武道館でやるからって解散するわけじゃない。くどいようだけど、解散しないから」
草野マサムネ「活動休止もありません」

と力強くMCして、それが大きくネットニュースになった。この言葉がどれだけの人を安堵させたのか。

とにかくロックバンドのファンは(主語が大きい)、「解散」の二文字に悪夢のように怯え、それを口にすることすら忌み嫌う。後述のL⇔Rなどは、1997年に「活動休止」を宣言して以降、バンドとしての活動実績が全くなかった。そのL⇔Rのファンですら、無神経なニュースサイトや芸能誌が「解散したL⇔Rは…」と書くたびに、「『活動休止』だ、『解散』とは誰も言っていない!」と、訂正をせずにはいられなかったのだ。
スピッツは「解散しない」と、ここまではっきりと言い切ってくれる。信頼し、腰を据えて応援する対象として、これ以上ふさわしいバンドもないだろう。

彼らの言葉は、重く、深く、ファンとバンドへの愛情に満ちていた。対極には芸能系ウェブライターの、軽薄な虚言の群れ。私はインターネットを通して、両者にまともに触れていた。
学校にスピッツの話ができる人なんていなくて、教室の隅でいつも虚無をしていた。感謝と怒り、一番大きな感情の振れ幅を経験するのは、そうやって家でネットをしているときだった。
級友たちには、根暗と思われていただろう。というか、自分でも根暗だと思っていた。

当日、母に手を引かれ、武道館の門をくぐった。
人の波が押し寄せる。ツアーグッズのTシャツを身につける人、待機列に並ぶ人。怖そうなダフ屋のおじさん。演奏への期待や、メンバーへの熱烈な思いが、言葉になり、あちこちで交わされる。
かたちは違えど、みんなスピッツのことを考えている。

インターネットにしかいないと思っていた「スピッツファン」が、いま、ここにいる。それも数えきれないくらい。全身の細胞が沸き立つような興奮だった。

入場し、少しの待ち時間。会場内に薄く流れていたBGMが止まり、照明が落ちて真っ暗になる。観客が総立ちになる。私も慌てて立ちあがった。
再び照明がつくと、ステージ上にはメンバーが、画面越しでしか見たことのなかった4人がいた。
そこからは、前後不覚で大暴れ。2時間踊り倒した。

あの日、観客席で一番はしゃいでいたのは私だっただろうが、会場内で一番はしゃいでいたのは田村明浩である。疑う余地はない。
特にライブ定番曲の『8823』では、ステージの端から端までを駆け抜け、飛び跳ねる。それを見つめると、我々は踊り狂う以外のことを考えられなくなる。
草野マサムネの真骨頂である歌詞も、客席を酔わせる重要な要素だ。

君を自由にできるのは 宇宙でただ一人だけ

世界に存在するどんな美辞麗句も、この一行の前では言語の無駄遣いにすぎない。
ひょっとしたら田村明浩があんなに暴れているのも、この詞の力を体で感じた結果なのかもしれない。田村明浩は草野マサムネの歌詞を我が身に結び付け、全霊で愛する人なので。

終演後、ホテルで泥のように眠った。一夜明け、目覚めると全身が筋肉痛だった。小学生のくせに運動不足な身体をあざけりながら、人生でも指折りの幸福な痛みを噛みしめた。

ロックバンドの魅力を語るとき、よく「初期衝動」なる言葉が使われる。用例は「初期衝動のパワーが音に詰まっている」など。
音楽を演る人に初期衝動があるならば、聴く人にだって初期衝動があるはずだ。
それを踏まえてこう言いたい。私の音楽オタクとしての初期衝動は、2014年7月31日にある。

スターがいたこと - LAND OF RICHES / L⇔R

L⇔Rは、伝説的なロックバンドだ。
スピッツと同じ1991年にデビュー。古い時代の洋楽という、確かな教養に支えられた、バラエティに富む音作り。天才と名高いボーカリスト黒沢健一による、至高のメロディー。黒沢健一が能力を発揮できるよう支えつつ、自身でもソングライティングの力を発揮した、健一の実弟兼ギタリスト黒沢秀樹、そして黒沢兄弟の友人兼ベーシスト木下裕晴。

現在、私は上のような基礎情報を蓄え、L⇔Rのことを考えながら日々を過ごしている。
そのたびに思うことがある。私はL⇔Rのライブに行くことができなかった、ということだ。

ヒットを連発したL⇔Rは、1997年に活動休止。以降は3人とも、ソロ作品制作、ユニットへの参加、後進アーティストのプロデュース、サポートなど、仕事をこなしていく。
ファンは何度も何度も、バンドの復活を望んできた(ネット掲示板の当時のログを参照するとよい)。しかし、キーマンの黒沢健一は「今はまだその時じゃない」などと拒否し続けた。
理由は推測するしかない。複雑な事情で公にできないことが、きっと我々には想像もできないほどたくさん、たくさんあったのだろう。

2016年、L⇔Rはデビュー25周年を迎え、再始動の計画が内々で持ち上がった。黒沢健一もこのときは乗り気で、黒沢秀樹と一緒に新曲制作を進めていたらしい。

しかし、3人がともにステージに立つことは、二度となかった。

2016年12月5日、黒沢健一は永遠に生命を失った。
2015年の秋に発覚した脳腫瘍は、急激に進行したようだ。闘病中であることは2か月前に公表されていたが、2か月なんて短すぎる。少なくとも、ファンが覚悟を決めるのに十分な時間とは言い難い。リアルタイムで応援していた人たちの胸中は、察するに余りある。

私はそのとき中学2年生だった。L⇔Rには全然興味がなかった。ちょうどボーカロイドに一番ハマっていた時期だった。「スピッツ田村明浩と、かつて一緒にバンドを組んでた(公式サイト)人が亡くなったらしい」と聞いてはいた。いたけれど、それよりも、目まぐるしく変化するボーカロイドシーンのほうに、ずっと心を奪われていた。

さらに時間が流れ、2020年になった。Twitterのタイムラインでふと、L⇔Rの話が流れてきた。軽い気持ちでYouTubeで『KNOCKIN' ON YOUR DOOR』を再生した。
ぶっ飛んだ。
気が付いたらライブDVD(黒沢秀樹公式サイト)を揃えていた。黒沢秀樹の配信ソロライブのチケットを購入してた。

なぜもっと早くハマらなかったのか、と後悔するたびに、「もっと早くって、じゃ、いつからハマってればよかったんだ?」と自分が反論してくる。
私は21世紀の生まれだ。仮に、生まれたときからL⇔Rファンだったとして、ライブをリアルタイムで観ることはできていない。
私のL⇔Rライブ参加を可能にする唯一の仮定は、「黒沢健一が2016年を生き延びていれば」、それだけだ。脳腫瘍がなければ、おそらくL⇔Rは復活していた。しかし、今となってはこれが一番ありえない。

気持ちをどこにぶつけるべきかわからなくて、ライブDVDを観る。1996年3月10日・武道館 "Let Me Roll It!"1997年6月29日・NHKホール "Doubt"(リンク先ショート版、ともにYouTube)の2本がリリースされている。
"武道館"はまるでお祭りのように弾けていて楽しいが、「ライブならでは」のすさまじさは"Doubt"が勝る。
黒沢健一はセンターで、ソウルフルに歌い上げながら腕をバタバタさせる。汗をかいて、シャツを胸まで開ける。ステージをマイク片手に横切りながら、鋭い目つきで客席を一瞥する。
瞳には、色のない猛炎が宿る。人智を超えた存在、たとえばそう、ロックの神様に薪をくべられているような、そんな炎。

ライブ音源はどれも神懸かっているが、なかでも『LAND OF RICHES』(1997年4月26日・赤坂BLITZ "Doubt Preview"より)(リンク先YouTube)は全てが完璧だ。オリジナル音源より少しだけ高い音程で、黒沢健一が吠える。観客は催眠にかかったように熱狂し、悲鳴を上げる。
後半はThe Rolling Stones "(I Can't Get No) Satisfaction"が(突然)引用される。洋クラシックロックのストレートな格好良さへの心酔、時代を作ったミュージシャンたちへの憧れ、彼らのようになりたいという渇望。それらが生涯、彼の根底にあり続けたこと。インタビューより、歌声がずっと雄弁に語る。
でも、ライブ音源を聴けば明白だ。彼は、スターに憧れるただの少年じゃなかった。
あの舞台に立つ瞬間、黒沢健一は紛れもなく、本物のロックスターだったのだ

2017年以降も、遺された黒沢秀樹、木下裕晴は、それぞれに音楽活動を続けていた。
2021年、黒沢秀樹は公式YouTubeチャンネルを開いた。そして、L⇔Rの楽曲をアコギ一本でカバーするプロジェクトを始めた。チャンネルの動画は必ずプレミア公開される。コアなファンが集まって、チャットで曲にまつわる思い出を語る。それを眺めつつ、彼の歌声に耳を傾ける日々が始まった。
黒沢秀樹の声は高く、可憐で澄んでいて、どこまでもよく伸びる。黒沢健一とは全く違う方向だが、たまらなく惹きつけられる魅力がある。アコギのアレンジも絶妙で、聴きこんだ楽曲に新鮮な印象をもたらす。

でも、それを聴くたびに思ってしまう。この曲を、黒沢健一、黒沢秀樹、そして木下裕晴の音で聴いてみたい。
デビューから30年、技術も経験もずっと向上した3人が、いまこの曲を演奏したら、どんな音になるんだろう。想像するだけでわくわくする。早く聴いてみたくてしょうがない。

私がL⇔Rのライブに行ける日は、来るだろうか。

お金ほしい!