ちょっと悔しかった話
海外の取引先を京都観光へ
先日、勤め先の海外の取引先が3年ぶりに来日した。
いつもは会議だけなのだが、今回はちょっとしたイベントごともあって、行程に京都観光をアレンジ。今回のnoteはそこでの話。
京都観光へは旅行会社が手配してくれた英語が話せるドライバー兼添乗員の方を手配した。自分が所属する部署からも、当然我々のお客様なので、この観光に同行。
ドライバーは韓国系の方で、日本語も英語も堪能。聞くところによると中国語も話せるとのこと。
事前に大まかな観光候補地は決めてもらっていたが、到着が遅れたりしたこともあって、大きく予定を変更。
お客様の要望を聞き臨機応変に対応してくれた。さすが観光案内人。歴史の知識も豊富なうえ、要望に答えられそうな観光地の引き出しが非常に豊富。
(それが本職なので、そりゃ当たり前っちゃ、当たり前なんだけど)
悔しさすら覚えた
別に自分は観光の仕事をしているわけではないので、こういう感情が湧くのは少しおかしいかも知れない。
でも、この添乗員の知識はとても豊富でユーモアもあり、お客様が静かな神社仏閣を希望すれば、それに合わせて行程変更。
その場所は、要望に100%答えられるものであった。一緒に同行していた自分ですら、そこでの静かさと、美しさ、加えて「枯山水」的荘厳さを備えた場所に、仕事を忘れてその空間に楽しんでしまったほど。
そして同時に、少し添乗員に悔しさすら覚えてしまった。
海外にツールを持つこの添乗員の知識の豊富さに。
海外の方をしっかり楽しませて、京都を心に刻まさせた彼の仕事に。
かたや、自分は観光の仕事をしてはいないが、京都は比較的身近な場所。
また、日本の、いや京都の歴史は身近であるはずなのに、何も知らなかった自分。
少し恥ずかしく感じ、この添乗員に対して嫉妬すらした。
そして、お客さんを喜ばしている姿を見て、悔しくも思った。
当然彼は仕事なので、自分以上の能力や知識を持ってて当然なのに。
でも、少し悔しく感じたんだ、なぜか。
そう、なぜか?
ここを紐解くとおそらくこんな感じかな・・・。
自分の持つ歴史に関する知識にコンプレックスを感じている
以前、英語での通訳案内士の資格取得を少し目指したことがあったが、中途半端に終っていた
(少し言語化が難しいが、)何かこう・・、自分の心に、人を感動させたり喜ばせたりする人に対して眩しく感じる傾向がある
単純に英語力でも敵わなかった。
思い当たるところは、こんな感じかな。
とにかく、今回の海外からのお客様のアテンドにはいつも以上の経験と学び、モチベーションを得ることができた。
やっぱり、自分の国の歴史ぐらいもっと知らなくちゃ。
やっぱり、自分の英語力にもっと磨きをかけなくちゃ。
そして、今は中小企業診断士の資格取得目指して勉強しているし、これ取得できた後は、他にも勉強したいことが控えているけど・・、でも、通訳案内士をもう一度目指してみたいなとも。
こんなことを感じた今日このごろでした。
じゃぁね、バイバーイ。
けーさん
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