吉野の青き蔵王権現はラピスラズリの輝き
蔵王権現
古代から山岳信仰の聖地であり
吉野・大峯の霊場は、平安時代以降
霊場として和歌山県の県境、紀伊山地を挟んだあり高野山と熊野三山、およびこれら霊場同士を結ぶ巡礼路とともに世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成要素となっている
去年、田辺市から新宮市まで熊野三山にある熊野三宮詣の修験道である世界遺産の中辺路の巡礼路を歩き
高野山、吉野山に自然と興味が向いた
「道」が世界遺産になっているのは二つ
もう一つはサンティアゴコンポステーラまでの巡礼路Camino de Santiagoがある
吉野・大峯の霊場、世界遺産の国軸山金峰山寺は日本修験道の本宗で役小角が7世紀に開いた
白鳳時代に役行者が金峯山の山頂にあたる山上ヶ岳で、一千日間の参籠修行の末に感得したのが国宝世界遺産の蔵王堂内に日本最大の秘仏本尊として祀られている金剛蔵王大権現三尊が並び立つ
今回は夜の蔵王堂内でこの三体の蔵王権現が特別ご開帳されるという事で拝見してきた
夜18時-20時の二時間のみ期間内に数日のご開帳がある
金峰山寺に到着すると辺りは真暗闇
山深く標高もあるので気温は二度とかなり冷える
堂内は静かに蔵王権現三尊の前で皆座っている
終わり頃は修験僧の方も手を合わせている
普段の山行されているからか蔵王権現の姿の様にかなり逞しい
蔵王権現は、役小角が、吉野の金峯山修行中に示現したされる釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩の三尊の合体したものとされる
過去・現在・未来の三世にわたる衆生の救済をそれぞれ現している
憤怒の表情に怒髪天、口の両端に牙
左足で地下の悪魔を押さえ、右足は大地を高く蹴り上げ天地間の悪魔を払うという独特な姿をしている
右手にある三鈷は天魔を砕く相で、左手の刀印は一切の情欲や煩悩を断ち切る剣
国土の7割を山地が占める日本においては、山は古くから聖なる場所とされていた
古来の山岳信仰が神道、仏教、道教などと習合し、日本独自の宗教として発達をとげたのが修験道であり、山伏、修験者達の開祖とされているのが役小角になる
役小角は7世紀に奈良で生まれ
現在の天理から桜井一体の大和国磯城を発祥とする大三輪氏の家系
大物主神を祖神とする氏族の出自で若くして孔雀明王など密教の呪法を学び
修験道の基礎を築き朝廷の医療、調薬を司る典薬寮として活動した
その後全国の霊山を開山し各地に伝説を残している
神仏習合の熊野三宮の熊野三山
修験道の金峰山寺
真言密教の高野山金剛峯寺
どれも日本独自の古代から続く信仰で
中世に勃興し歴史の中で守られている
藤原道長が御嶽参りで訪れたほか
後醍醐天皇が行幸したこの地に南朝を開いた
藤原道長の日記「御堂関白記」には
左大臣時代の寛弘4年(1007年)8月、金峯山を詣で山上に写経15巻を埋めて灯籠を建て、「経塚」とした記載がある
近年この内9巻が新たに寺内から発見され国宝に指定された
今の自分と同歳に道長は御嶽詣りをしている
暗闇の中で青き秘仏は灯りに照らされる
蝋燭の火も座る人も静かに見守っている
蔵王権現の真青は吉野の山の日の出と深い慈悲現しているという
ラピスラズリを原料としているのに驚いた
あっという間に閉館に
数時間とこんなに長くじっと神仏像を眺めてたのは初めてだった
この金剛峯寺も明治初期の廃仏毀釈で廃堂の危機もあった
明治7年、金峯山寺は廃寺となって神社化されることになり
信仰の根本が神仏習合にある修験道は、危機的な状況になる
吉野山では多くの仏像が破壊、あるいは売却され、蔵王権現も対象になったが、あまりの巨大さから移動させることができず、幕をかけて隠したと言われる
寺僧の抵抗と努力で破壊を免れたという
しかし多くの寺院は神社へと変更させら、明治5年には修験道廃止令が発布
弾圧はさらに強化され、僧侶は神官へと強制された
過激な廃仏毀釈が見直しがあり奇跡にも明治19年に金峰山寺は再興される
廃仏毀釈前の吉野の風景は想像するのみ
#奈良股旅
#吉野股旅
#人生股旅
言葉を直接届ける機会をいつか何処かで作れたら!