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左利きの歴史は右利きの歴史

左利きの歴史は右利きの歴史

学生の時に左利きの人権団体をロンドンで見つけて
左利きは右利きより十年寿命が短いと統計があった

社会は右で出来ている、そうだったんだ
俺左利きだから早く死ぬんだ、と考えたの覚えてる

昔、右利きだった 今は左利き
細かく言うと10代の時やっていたゴルフと算盤だけ右利き
左利きのクラブは買えなかったからお下がりだった

幼少の時、おじさん(父親)に左利きになれ
と言われた事だけ覚えている
それから左利きになったらしい
詳しく記憶はない(大変だったそう)

その後、沼津から富山に引っ越し、その父親と住む事になった 
それまでに小学校は4回転校
左利きの意味は、お前はこれから野球をやるからだ、ということらしい。笑

学校の三者面談で父親は、「この子には右を教えないで欲しい。書道の時間は、左利きの練習をさせる」というのを覚えている

書道の授業中、字を書いたり絵を描いたり、学ランが真っ白になるくらいずっとバルサを磨いてルアーを作っていた遊んでた。笑
ラトルとウェイトを入れたり
とりあえずこの転校生は変なヤツというクラスの人達の視線。笑

自転車で行ける所まで釣りに行ったり夢中だった
しかし、左キャストで釣りをしていることを知ると、父親は全てのロッドを折ってそれで殴り釣りをやめさせた
当時作ったルアーは今でも持っている

それから数年後に家を出た 自由!
将来の事も利き手の事も言われることもなくなった

18歳の時、知多半島へ移ってバーで働いた
左に苦戦した 
社長は左利きで店に来るとカトラリーは左に置く 「よく気付いたな、お前左だったんだ」と気に入ってもらえた
バースプーンも左利き用買ってくれた
「お前がやりやすい方でやれ」右を選んで仕事した

左利きの歴史は右利きの歴史でもある
古代中世まで抑圧、差別、不寛容、憎悪よ対象であった左利きは「右で何も出来ない人」と呼ばれていた

19世紀に入り、近代化によるテーブルマナーや学校教育、識字率の上昇により民衆に対する幼少期からの右手の矯正(強制)が始まった
中世までは社会通念で差別はあっても矯正は行われなかった

差別や抑圧ではなく
近代の幼少期の矯正に自己統制や自己規制が生まれる
義務、品行方正、禁止事項、規律、理念
こういったもので左利きは矯正された

左利きの様々な精神問題、吃音(幼少期自分もそうだった)、反抗心、不整脈など心身の多くの症状が出る事が分かってきた

幼児が社会的束縛を受けない自然な状態の時代が終わった
利き手の矯正は残忍な人格否定である

しかし、第一次大戦による兵士の負傷や欠損障害により右手を失う人間が多くなり、リハビリテーションによって新しく利き手は考え直され、左利きの優越性が広まり、これまでの負の歴史は薄まっていく

特に被害の大きく戦力の大半失ったフランスは、前代未聞の衛生問題に直面する
新たな左利きが生まれる

人権誕生の地であるフランスに長く根強く残る右手の優越、社会のメンタリティの変化には多くの時間を労している

少しずつ今も利き手に対する社会態度の変化が西欧で起きている
ミロのヴィーナスが右利きという通念も変わるのかな

右と左の二元性を溶かし 象徴体系の枠組を超えていく
それより先に両利き手の時代が始まった

ロストロのカップを左に置いてくれる事を知って
いつも本を紹介頂く翻訳家のルーちゃんママからの左利きの本を紹介頂きました(ルーママも左利き!)
ありがとうございました!

本を読み終えて、10代を振り返ると
中学の図画工作に時、何を作ろかと考えていた時に雑誌に目をやると、朝本浩文さんのRam Jam Worldとアンダーカバーのコラボで左手が歯車を持つデザインがあって、これだ!と思い自分の左手を右手で模写しそれを立体で作った事を思い出しました

#左利き
#私ピンクのサウスポー

言葉を直接届ける機会をいつか何処かで作れたら!