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魚屋の物語


渋谷の喧騒から少し離れた神山町の通りにある「魚力」
近所の魚屋で毎日通うここ数年
ランチと夜に魚の定食を食べられるのでいつも食事を取る

すっかりそのお店の人とも打ち解けて色々はなしながらいつも楽しく食事をしている

初夏から晩夏まではもっぱら鮎
冬はサバ味噌と銀鱈味噌
小鉢は納豆
水曜夜と日曜はお休み
話す内容は昔の渋谷の事

吉野の鰻屋あるだろ?あそこは元々別の鰻屋で戦後一番最初に二階建てにしてさ、近所のみんなで、お邪魔したよ
二階からは渋谷駅が見えたよ

敗戦後、GHQのワシントンハイツへ入りこんで遊んだこども時代
粉石鹸の香りチョコレートの美味しさ
こんなの勝てっこないよって思ったね

渋谷川は綺麗な川じゃなかった、魚はいたよ

おばあちゃんはある冬に兵隊さんが雪の中を行進しているのを見たんだよ、二.二六事件だ

ハチ公は良く吠えた犬でおばあちゃんに蹴飛ばしたんだって

元々子供の城があったところが魚力だった
空襲で焼かれて逃げて戻ったら誰かのものになってたよ それから今までここだよ

俺の親父さんは戦争行っててね、向こうで捕虜になってて、帰ってきた時は姿が分からなかったな

朝、仕込みをしたら昼にはどっか行って夜に帰ってきてたよ
父親の思い出はそんなにないなあ


渋谷で80年以上もやっていればなんだってあるよ
そういえば、親父の抑留日記があったなあ

製本された冊子を持ってきてくれた
先代は20年の4月頃に徴兵されて満州へ向かった
そこから終戦、捕虜となりモンゴルへ抑留される

モンゴルでの日本兵捕虜の文献などは今までに見ているが一人の人の日記から得られる情景や感覚は文献では得られない
また出国や捕虜生活、復員船での身辺検査などで没収されてしまう事も多い

ここからはその日記を記された魚力の先代の物語をお伝えしていこうと思う

※旧漢字や保存状態により読めない文字はある
※手記にあるそのまま表現を感じて貰いたく文字利用は基本手記通りにしている

戦争体験もなかなか聞かれなくなって
こういった手記を残す事に一つ意義があると思った
一人の人が先の戦争にどう巻き込まれていったのか、を

本日は原爆の日 かつてのヒロシマを忘れないように
この物語をここに残したい

日々薄れていくかつての戦争で苦しんだのは貧しい国民だった背景、それは渋谷に残る記念碑にもあるよう二.二六事件の発端にも見られる

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言葉を直接届ける機会をいつか何処かで作れたら!