僕の死2
喪失感
孤独感
大人になるとスルーすることを覚えてしまう
置き去りにしてしまう
生きるということは
人との別れで学んだ意思を生かす事
もういない人を忘れない事
そういう事のはずなのに
別れの喪失感や敗北に似た挫折に負けてしまう
大切な事から逃避してしまう
さっき友人と話からインスピレーション貰い生まれた言葉と気付き
自分が死んでいる事に気がついた
これからどうするか
どうやって生きるか
人との別れはそうゆう事な気がする
今日、塚田有那さんの訃報を知った
去年、END展という展示会に伺った時に知った方でこの会のキュレーターの方
自分の死生観や人生観に前向きなパワーを与えてくれたドミニクチェンさんの展示があるという事で知った死をテーマにした展示会
丸ごと10年の喪失
置き去りにしてた事を突き合わせてくれた機会
この展示の最後のコーナーにあった
もういない人にメッセージを書くというものに僕もペンを取って書いてみた
これは同時に僕自身がどう生きてきたかを
会えない人に伝えるということで
中々言葉が出なかった
多分20分くらいを100文字ほどのメッセージに時間をかけた
その後、ドミニクチェンさんとお会いしお話させて頂く機会があり
自分のアイデンティティやEND展についてお話した
ドミニクさんは塚田さんが主催されている
「遠野巡灯篭」に是非一緒に参加しましょうとお薦めしてくれた
この会には先日亡くなったOlaibiさんも参加されていてこの繋がりにもとても惹かれていた
Olaibiさんはコロナ中に初めてライブを見に行った
前々から惹かれていて久しぶりにアクティブに活動されているので足を運んだのだが、久しく動かしていない体なのに珍しく心躍り、ずっと彼女前で踊っていたら後日メッセを頂き、彼女の展示会にお誘い頂いて、わざわざメッセージ頂いたのにも関わらず、結局行けずだった
何故メッセージをくれたんだろうと話してみたかった
遠野に繋がったと感じたのだけれどもこの機会も逃してしまった
その後、Olaibiさんの訃報を知った
心躍る機会を頂いた二人の女性が亡くなった事
僕の12年間の死
家の帰り道
「シンタロウさんがこれからどう思って生きるかが大事!人の別れってそういう事な気がする」
という友人のメッセージで終わりに出来るかもしれないと思った
言葉を直接届ける機会をいつか何処かで作れたら!