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言葉を捨てる事と遺し方

著名なサリンジャーのライ麦畑でつかまえて
その一節に私も影響を残された一人。

これを引用した笑い男の言葉を若い頃良く反芻しました。

「僕は耳と目を閉じ口を噤んだ人間になろうと考えたんだ」 I thought what Id do was, Id pretend I was one of those deaf-mutes

誰にもなんにも話さないほうがいいぜ。話せば、話に出てきた連中が現に身辺にいないのが、物足りなくなってくるんだから。           ―P.332 L.5より引用

瀬良野と笑い男の会話で 「自分が挑もうとした伏魔殿の闇の深さに敗れ去った僕も、全ての事から目を背け、耳を塞いだまま沈黙を続けるしかなかった。」
声の大きいモノが通る世界です。
出し合いに疲れたら黙るしかない。

世界の情勢や政治もそうです。
変わらないという事で諦めて声を出している者が馬鹿に見える。

身の回りの小さな人間関係で対する人間達にしてもそう。
特に依存せず、良き距離でそれなりの孤独で生きていてもぶつかったり、色んな情報が根回しで広まったりします。

また時間が止まるような幸せな世界や
楽しかった時の記憶なども語れば語るうちにこれらは全て過去であり寂しくなってくるものだと思います。

なので言葉という手段は出し続ける事がないという事です。

しかし言葉は使うべきです。はっきりと意思を持ち発言する者が紳士(意思を持ち語らずとも心に留めておくが侍)のように西欧の発言力に日本は負けてきました。

言葉の手段は捨ててはいけない。
言葉は生き方からしか学べないです。
行い、心構え、器として言葉の魔力とツールとしての使い方を日々学びポジティブに変換する事は前提として、の姿勢が大切にされています。

重要なキーワードは「言挙げ」という言葉。
良くも悪くも強い力は、良い方向にそして本当の意味を捉えるとわかってきます。
それを気づかせてくれたのは万葉集とある一冊の本でした。そこ中に言挙げという珍しい言葉を見つけた時に興味を持ちました。
今日はこれを紹介します。

柿本朝臣人麻呂【かきのもとのあそみひとまろ】が歌集の歌に曰【いは】く
葦原【あしはら】の
瑞穂【みづほ】の国【くに】は
神【かむ】ながら
言挙【ことあ】げせぬ国【くに】
然【しか】れども
言挙【ことあ】げぞ我【あ】がする
言幸【ことさき】く
ま幸【さき】くませと
つつみなく
幸【さき】くいまさば
荒磯波【ありそなみ】
ありても見【み】むと
百重波【ももへなみ】
千重波【ちへなみ】にしき
言挙【ことあ】げす我【あれ】は
〔言挙【ことあ】げす我【あれ】は〕
(作者不記載歌、巻十三の三二五三)

葦原の
瑞穂の国……
かの国は神々のみこころのままに
言挙げなどしない国
しかし、しかし、
私はあえて言挙げをする
わが言葉のとおりに
ご無事であられますように
さしさわることなく
ご無事であったなら
荒磯に寄せ続ける波ではないけれど
変わらぬ元気な姿でと
百重波
千重波、その波のように繰り返し繰り返し
言挙げをいたします、私めは――
〔言挙げをいたします、私めは――〕

大和という国は、言挙げをしない国。
言挙げとは、言葉の力を頼って、大声で言葉を発したり、多言したりすることをいう。

神がいれば、強い信頼関係があるこの国では
本来言挙げなぞ必要せぬ国、だそうです。

神、そんなものはいない。信頼関係など終わってしまったと絶望しての言挙げ。

または、多くの神に守られて、
強い信頼関係を受け止めて、更になお言挙げする想い。

人生の中でどっちで生きているか、良く俯瞰します。

そしてもう一つ、


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日本人が失ってしまった魂を呼び戻す、日本人必読の哲理的随筆集
日本人が明治維新以来、疑いもしなかった「常識」は、本当の「常識」ではない。
長きに亘り、歪んだ「常識」を鵜呑みにし、「言挙げしなかった」日本国民は何度となく奈落の底に突き落とされた。
今や地球上のあらゆる自然は可逆的に暴れだし、欲望の資本主義はコントロール不能。
このような激変する世界に向き合うためには、歪んだ「歴史観」・「宗教観」を質さなければ、あなたの明日日の土台は定まらない。借り物の「生死観」では、この先を乗り切れない。
ならば、我々は視野を遙か遠くに拡げ、一万六千年前の縄文時代の精神をもとに、
近しい歴史を見直し、生ききるために「言挙げ」しなければならない。本書は、日常茶飯の「今」に、本来の面目を求め、日本人が失ってしまった魂を呼び戻す、日本人必読の哲理的随筆集。

"かつて、この国を言挙げを禁忌した。
言霊信仰のまた言葉の力を知っていた為に
使えるべくして使えるモノのみしか使えなかった。
効果を期待して言葉を発する「寿ほかひ」、「呪のろひ」、「呪かしり」、「詛とごひ」
これらと言挙げは並列で語るものではない。"

かつての昔から言葉は、口は災いの元というように言挙げに対するネガティブ、否定的な面が通念としてある。

いじめなんかは言葉で人を殺します。

言葉、文字を扱えるモノはごく限られていた昔に意図的に制限や規制をかけていた、言葉の力をとても知っていたという事になります。

使うべき時、場所、相手(対象と人数)、または誰が発するべきか、自分はその器か。
条件を揃え選ぶと、如何なく発揮する言葉の力の大きさと扱い方この本で学びました。

僕はまた言葉に没頭し、本を読むきっかけになった本です。

言葉を発したい、そんな時は、色川武大の
「自分の関心を他人に向けることを辞めよう」

物申したくなるノイズがある時は、
「君子の交わりは淡き水の若し」
「なんとなくとっつき安い雰囲気を作り、嘘でも良いから人懐っこい態度を普段からすること、愛嬌はとりあえず振りまくこと。
どうせ誰かの話聞いてもそうだよね、と言った内容だし、どこかで見たような話も多い。」

ハッとさせられる、感情から思考を通す日々の練習とツールの方法の学びは2024年の一番の抱負です。

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言葉を直接届ける機会をいつか何処かで作れたら!