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まるで命の選択

命あれば必ず亡くなるし、無意識レベルでの自己の意識が働くし、魂は何度も生まれ変わるし。と、いろいろ考えて全てそのまま受け入れようと思えるようにりました。

夫は回復期に入っていましたが、意思の疎通はできないままで、気管切開しているので話せないし、食事もできないから経管栄養でした。

面会はオンラインで行うことが出来たけど、ただ様子を見るだけの30分間。
そんな状況でしたが、ほぼ毎週、オンライン面会していました。

通常なら回復期はリハビリ病院に転院するらしいのですが、コロナ禍で受け入れ先を気長に待ちつつ、急性期病院で過ごしていました。

時には面会の間に看護士さんから様子が聞けることもありましたし、ドクターから電話で状況説明もありました。病院は家族にとって優しく、嬉しい対応をしてくれました。

ただ、鼻から食道を通って胃に栄養を送っている管を本人が抜いてしまうらしく、胃瘻(いろう)の話がありました。

胃瘻とは、食事が取れなくなった人が、胃の外側から管を通じて直接胃に栄養を流し込むもので、鼻からの栄養より手軽で本人が楽だと勧められました。

私は調べたところ、延命治療の一種らしいとわかり、躊躇しました。

夫には生きていてほしいのだけど、生かされているのは違うかなと。

人は食べられなくなったら弱って亡くなるのが自然の摂理だけど、胃瘻によりその機会を失い、生き続けることになるかもしれない。

私が年をとったらどうなるだろう。

先のことは自分のことも子どものことも分からないから、簡単に決められないと思いました。

いつか食事が摂れるようになれば外すこともできるとの事でしたけど、夫は50代前半という年齢と意思の疎通ができない状況を考えると、どうしても前向きにはなりませんでした。

意識があれば本人の考えを聞けますが、私に判断を求めるので、まるで私が命を選択するような気になりました。

胃瘻の方がメリットがあるのに、それを受け入れ難い自分。
今だけでなく将来のことも考えてと思っても、それでいいのか迷う。

電話を受けた日は眠れなくなるくらい気分が落ち込みました。

一度はお断りしたのですが、その後も何度もそのやりとりがあり、本人にメリットがあるならと考え直そうとしました。

複数いる担当ドクターの1人が強く勧めてくるのに対し、別のドクターは私の意向をすんなりと受けてくれて、それって医者の考えによるの??って余計に判断できなくなって。

年末に行った主治医との面談で私のモヤモヤはようやく晴れました。

その後、リハビリスタッフの懸命な対応により、気管のチューブを外せるようになり、水分が口から摂れるようになりました。食事も口から摂取できるよう、ゆっくり慎重にリハビリが進められました。


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