心は穏やかな今日
今日は穏やかだ。私の心。
学校へ電話しなくてもよい。学校から電話もかかってこない。久しぶりに朝からモヤモヤしなくて済む1日。いつもこうであるといいのに。
noteでストレス発散。本当に助かっている。
相談できる、いや愚痴を聞いてくれる相手がいないからね。
つい最近80歳の母にポロッと息子が不登校状態で学校を休んでいる事を漏らしてしまった。正直しまったと思った。
学校なんて行くのが当たり前、遅刻なんてありえない、そんな私と同じ考えの母はちょっと言いにいかなあかんって言い出した。やめてくれ~!
私はバカにされたら何クソ~っ!とメラメラと闘士がみなぎって見返してやるぞー!ってタイプ。でも息子は言われた分、傷ついてそんな事言われたらもうやる気なくしたと言って拗ねてしまうんだよなぁ。
息子が母の家に泊まりに行った時に息子にあれこれ言ってその度に過去に何度も喧嘩して逃げ帰ってきたことがある。母が介入すると厄介な事になるんだよな。
バリバリ昭和の高度成長期に育った母は言う事も考えもthe昭和だ。不登校なんて辛抱が足りないとか根性なしとかそんな扱いだ。
今家まで来られたら息子の心を掻き乱すだけ、火に油を注ぐようなものだ。来るなと思っていたら案の定ポロッと漏らしてしまった翌日にはピンポンと玄関の向こうに現れた。
もちろんドアを開けずに会う事なく放っておいた。何度かピンポンされたけど無視。諦めて帰っていってくれた。こういう事が過去何回もある。
私は愚痴る相手は欲しいが同調して聞いてくれるだけでよい。それ以上の事は求めていない。必要以上の事をされると鬱陶しいのだ。
やめてくれー、くるな、くるなって感じ。
自分がどうしようもなく弱気になった時だけ、辛くてしんどい時だけ、助けを求める時だけ手を貸してほしいのだ。わがままかもしれないけれど。
子供の頃から親に甘える事を教わらなかった、いや甘えられなかった。そんな性格だから私はできる限りなんでも自分でやってきた。そしてほぼ自分の判断でなんでも決めてやってきた。頼る事が苦手かも。
学年主任の先生が息子が不登校気味になりだした2年生の頃に欠席連絡を連日する私に相談に乗りますよって言って下さったのだが表向きには「ありがとうございます」と言って切ったが心の中で有難いけれどそれは結構です。放っておいてくださいと思ってしまっていた。
その時は息子本人もクラスの子と揉めて学校を避けているけれど先生に介入はされたくないし自分で処理できると言ってた。それでその後は何回か欠席していたが数日経ってまたいつものように登校しだしたから解決したのかなって。
息子は傷つきやすいし脆いから現実逃避するために簡単に学校をサボってしまう。しかし問題を処理する時は結局私と同じで誰にも介入されずに頼らずに自分で解決しようとする。
本当は誰かに頼る方がいい選択ができるのかもしれない。
もう50年も生きているが今までの人生頼った方がよい人生歩めたのかもしれない私。でも不器用だからそれができないんだよね。今さらね。
おばちゃんは今日も不器用に生きていく!