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春夏秋冬是好日#3
~教員生活Part1~
私は私立の音大(短大)に通っていた。卒業後の進路は…
1.4大に編入する。
2.留学していた学校に編 編入する。
3.合格していた教員になる。
4.音楽教室に就職する。
5.自分で音楽教室を開く。
この5択だった。その中から消去法で選んだのが“教師”だった。
なめてるよね。
今考えると恐ろしい。
そして新任校も決まり、3月28日には引き継ぎに来るように赴任する学校の教頭から電話が来た。
私はまだ車の免許を持っていなかったから、母に送ってもらった。
行けば行くほど山だらけになるし、信号もない。ひたすらまっすぐに山の中を走り、やっと到着。
そこは小さい街で、明らかに人よりも牛が多い村だった。
案内された住宅は、いわゆるへき地校あるあるの“教員住宅”だった。アパートやマンションなんてあるはずもなく、築何十年かの住宅だった。
中に入って驚愕した。
まずトイレがぼっとん式。
お風呂は浴槽しかなく、蛇口からは水しかでない。シャワーなんて近代的なものは全くない。足元は木で出来ていて、その隙間から見えるものは『土』。
湯船のお湯を汲んでは洗う。そのお湯は木枠の隙間からポタポタと、ただの土の上に落ちて行った😱。
そして得体の知れない虫が、どんどん増殖していた気がする…😭
何故かドアの鍵も、木枠の窓の鍵も《ガタガタガっ》とやや激しく動かせば、“カチッ”と素直にあいた。
いやいやいや、163cm70kgの体格だったけど、一応20歳と8カ月の若い女性の家よ?
いやいや…素直にあいたらダメじゃない?
そんなことは言えず、母だけその部屋に残して学校に改めてあいさつに行った。
その間中、母は築◯十年の部屋の真ん中に車の座布団を持って行って、ただひたすらに座布団の上に座っていたらしい。そりゃそうだろうな、畳部屋の畳は抜けそうだしね。得体の知れない虫も度々表れているんだものね。座布団の上だけが安心な場所。
その気持ち…わかるな😅
ここで暮らしていけるかなぁ…と、いっぺんに不安になった。
市街地にはコンビニの変
わりに、昭和◯年消費期限と書かれたネクター(ジュースです)が、置いてきぼりになってるストアー。長々と住所を書く必要のな。
「◯◯市街の◯◯◯様」でわかるから。
引っ越して必要な電化製品は「小さな街の電気屋さん♪」で、全て購入が暗黙の了解👍️。
引っ越し作業は、基本的には赴任地の学校の先生たちや、子どもたちが手伝いに来てくれる。それが当たり前だった。
だから感謝のお寿司やおにぎりを振る舞い、大人には洗剤セット。子どもたちにはお菓子の詰め合わせを持って行くことが必要だった。
私は新任だったので、トラックは自分たちで頼んだ。
引っ越し当日、まさかの雨。トラック大丈夫かな、と外を眺めていたら古い大型バスがやって来た。
ん…??
トラックでは??
「いや~屋根の付いたトラックがなくてさぁ。バス(使用していない)があったからさ。これで来たわ。これで荷物も濡れないよ。」と胸を張る業者さん。
到着時間も決まっていたから、もう古いバスで行くしかなかった。座席はすでに取られていて、案外広く快適だった気がする。
私は真っ赤なブレザーに黒いフレアパンツで、あの住宅に引っ越した。
「東京かぶれの姉ちゃんがバスで乗り込んで来たぞ!」とかなり噂されていたらしい。
そんなこんなで引っ越しは、何とか終わることが出来た。洗剤セットやお菓子の詰め合わせは、たいそう喜ばれたようす。
ほっとする暇もなく荷物をほどいて何とか住めるようになった(両親が泊まりこんでやってくれた)。
引っ越しの当日。
最も大事なことがあった。
それは…。
乗り越えなければならない儀式のようなものだった。
20歳そこそこの私には、相当ビビッてしまうことだった。