「大人はなぜ走り回らないのか」考察してみた
こんにちは!
かがみこころです。
おうちの近くの公園を通りかかると、いつでも小学生のこども達の明るい声が響きます。目をやると、サッカーのパス練、野球のキャッチボール、なわとび、鬼ごっこ。
ぼくが小学生の頃も一緒だったな。
放課後に友だちと「〇〇公園集合ね!」とあそぶ約束をして、17時の鐘がなるまで走り回っていた記憶があります。懐かしいです。
そんな中、ふと世の真理に気が付いてしまったんです。
「あれ、走り回ることって子供の特権じゃね?」
あまりにも恐ろしい発見に、ぼくは興奮してしまいました。
人はいつから走り回れなくなるのでしょうか。
僕が考えついた範囲では「ダサいしケガしたくない」という心に気が付いた瞬間からだと思いました。
その考察を書いていきます。
事実1: 加齢による体力低下ではない
スポーツ庁の「平成27年度体力・運動能力調査結果の概要」から、とあるグラフを取ってきました。
"走る"に関係する種目のシャトルランの変化です。
14歳から18歳までをピークとして山型のグラフになっていますね。
てっきり、50くらいのおっちゃんは、7歳のこどもに勝てっこないと思っていましたが、意外な結果ではないですか?
つまり、走り回るための体力くらいはあるってことですね。
ただ1つ文句を言うなれば、この調査の対象となった母集団の生活習慣がわからないことですかね。健康のために、ランニングしたり、体を鍛える習慣がある人ならスコアは高くなるに決まってます。
事実2: 加齢とともに多岐化する娯楽
子どもの頃って、おそとで遊ぶとなったら種目が決まりきってますよね。
ドッジボール、かくれんぼ、缶蹴り、ドロケイ、鬼ごっこ、サッカー、野球、水鉄砲、などなど
今の時代はゲームとかありますけど、一旦おいておきましょう。
それが中学になると、ラウンドワン、カラオケ、ディズニーとか。
公園であそぶことが減って、資本主義が作りだす娯楽に対してお金を払ってあそぶようになります。
恋愛もまた1つの時間の使い方として加わります。
高校生からはバイトもできます。
自分でおかねを稼いで、買いたいものを買えるようになる。行きたい場所に行けるようになる。
そして、大学生や社会人はさらなる自由を手に入れます。
ギャンブル、酒、パチンコ、女(男)遊びなど。
なぜ鬼ごっこはしないんでしょう?
飽きた?純粋な心を忘れてしまった?快楽の度合い?
やったらきっと楽しいと思うはずなのにね。
事実3: 常識という抑制装置
社会に生きている以上、私たちの行動は社会規範というルールみたいな何かに縛られ、影響を受けます。
「大人は鬼ごっこをしない」という事実が長いこと存在していれば、それは次第にみんなの常識という形で定着しますよね。
いま、試しにGoogleで「大人 走る」と入力してみます。
走る速度、イラスト、みっともない、転ぶ、運動会。
そう、「みっともない、転ぶ」というのが、大人が走った時のイメージです。
大人が走り回れないのは
走り回っている姿がダサいという羞恥心
転んだ時のケガを心配するリスク管理
という二面性があるとも言えますかね。
そもそも子供が大声で遊んでいたら、近隣住民に怒られるみたいな話も聞きます。怒られる可能性のある環境が身近にあると、このほかにも恐怖心とか、迷惑をかけたくないという配慮も生まれてくるのかもしれません。
このようにして、走らない大人像が社会の常識となってしまったのではないでしょうか。
まとめ
とまあ、こんな感じで色々と考えました。
もっと考慮に入れていいファクターもたくさんあると思います。
例えば、時間的制約だったり、遊ぶ場を取り囲む空気だったり、心理的な部分だったり、活力の話だったり。
ぼく自身は、中高時代も走り回ってた覚えがあります。
大学になってからは落ち着きました。
みなさんの考えも、ぜひ共有してください!
では次の記事で。
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