【エッセイ】郊外育ち、普通家庭の長男、平凡コンプレックスの少年時代に射し込んだ光。

僕は子供のから自分が平凡であることがコンプレックスだった。平凡と言ってもなんでも平均的にこなせて世渡り上手な人と言った意味の肯定的な意味の平凡さではなく特に秀たものがなくそれ故集団の中では弱い立場に追いやられ、劣等感に苛まれるといった悪い意味での平凡さだった。
僕は郊外のサラリーマン家庭の長男として生まれた。環境としては何不自由ない普通の家庭で育った。しかし僕は物心ついた頃から自分の中で不自由を感じていたことがある。それは人見知りで集団の中で自分の主張をすることが極端に苦手ということだった。
幼稚園に入ると内気でひ弱なぼくは活発なタイプの子にいじめられる事が多かった。他の子と喧嘩になると一方的に殴られ力では太刀打ちできないので噛みついて反撃し相手を泣かせてしまったことがあった。それを見た先生からは卑怯者と咎められた。
小学校に入ると鈍臭くて運動神経の悪い僕を見かねて母は地元の少年サッカークラブに入団させた。勿論運動神経が悪かった僕は活躍する事が出来ず万年補欠として過ごした。この頃から平凡コンプレックスと劣等感を抱え始めた。一方学校では特に浮いたところもなく勉強もある程度は出来てそれなりに友達もいた。しかし何かが他の子と比べて優れているわけでもなく集団の中では自分紛らわせてしまう僕は常にどこか息苦しさを感じていた。小学校の卒業式では皆自分の将来の夢を発表するが僕にはピンと来なかった。成りたい職業など無かったのだ。僕は誰かの「役に立つ職業に就きたい」と当たり障りのない事を言ってその場を誤魔化した。
 中学校では学区分けの都合上僕は小学校時代の同級生の少ない学校に入学した。つまり既に出来上がっているコミュニティに異物として途中から入ってゆく必要を強いられる。それは人見知りでひ弱な僕には難しいものだった。僕は小学校時代から続けているサッカー部に入った。サッカーが特別好きだったわけではなく人見知りの僕には友達が作りやすいと思ったからだ。しかし普遍的な公立中学校には残酷な人間関係の戦争がある。いわゆるいじめだ。僕はとにかくいじめられるのが怖かった。いじめられて集団の中の居場所が無くなるのが何よりも怖かった。僕はいじめられないよう人の顔色を伺いながら、相当に神経を摩耗しながら学校生活を送っていた。気が弱い僕は中学校の人間関係では弱い立場に追いやられる事が多かった。時には人間関係の中でいじめと遜色ない苦痛を強いられることもあった。僕は学校生活で神経を擦り減らすあまり学校の成績を大きく落とした。また他人に認めて貰いたくて良からぬ行為に手を染めた事もあった。親はそれを見て非常に落胆していた。それでも自分の事よりも他人との人間関係のほうが僕は大事だった。
 そんな学校生活は何一つ楽しくなかった。とにかく僕は学校が嫌いだった。そんな自分を押し殺す中で唯一の救いは深夜のバラエティを観ることだった。それだけが生きていて楽しい瞬間だった。ある日本屋に行くとテレビの中で活躍していた千原ジュニアの自伝的小説『14歳』及び『3月30日』という本を見つけた。僕はこの2冊を読んで脳天を鮮烈に殴られたような衝撃を受けた。これから自分を殺しなんとなく大学あたりまで行きなんとなく父親のようなサラリーマンになると思っていた自分の将来像を打ち砕いた。
 人と違う事に苦しみながら自分だけの道を見つける物語の『14歳』、そして芸人になる道を見つけ生々しいまでの青春を描いた『3月30日』、それを見た僕はこんな人生を送りたいと思った。平凡で冴えないどこにでもいる中学生だった自分にとって雨雲の切れ間から覗いた温かな太陽のようなものだった。 
 「自分もこの社会から抜け出してたくさん人を笑わせる芸人になりたい。」
 僕の前に敷かれた平凡的なレールを逸脱しようと決意した瞬間だった。

いいなと思ったら応援しよう!