「科幻世界」を読む(13)ハチドリになった娘:楊晩晴「蜂鳥停在忍冬花上」
あらすじ
「科幻世界」2021年第4期掲載。
30年間、葬儀の現場で働いてきた母親は娘の暮冬を亡くし、自らの手で骨を拾う。自分が死にまつわる仕事をしていたことで、暮冬はその影から逃れようとむしろ活発で恋多き女性として生きたのではないかと母は考える。
娘の遺品を整理していたある日、ハチドリ型ロボットを見つけた母親。そのロボットは娘が子供のころに購入して以来、24時間365日行動をともにしていた存在だった。旧世代の自分には考えられないが、この時代の若者たちは当然のように一人一台、このハチドリを所有してどこにでも連れて行っていた。ハチドリを充電すると、内部には暮冬の一生の映像が記録されており、母親は娘の人生を追体験するように映像を追っていく。
一方、暮冬のかつてのボーイフレンドの一人・卓然は死者の意識をシミュレートすることで故人を「復活」させるアナザー・ライフ社の開発者になっていた。職場の周りをうろつくアナザー・ライフ社の宣伝ロボットを嫌っていた母親だったが、暮冬を亡くした悲しみから心境の変化が訪れる。
卓然のもとを訪ね、暮冬の死を知らせると同時に「復活」の希望を伝える母親。しかしそれは、娘の意識を例のハチドリの中でよみがえらせたいという願いだった……。
感想
内省的な文章が美しい物語です。全編は母親の「私」が娘の暮冬に呼びかける形で書かれており、「私」が娘を失い、取り戻し、そして新しい一歩を踏み出すまでが静かに語られています。
タイトルの「ハチドリはスイカズラにとまる」は、作中でチェスワフ・ミウォシュという詩人の作品「贈り物」の一節であることが書かれています。
その全文(英訳)がスコットランドの詩専門図書館のサイトにありました。
痛みや苦しみから解放され、穏やかに草花や小動物と触れ合う幸福な一日が描かれていますね。そして、それらかつての苦しみは自分自身の欲から来ていたことも示唆されています。
作中でも「自私(わがまま、身勝手のような意味)」という言葉が何度か繰り返される場面がありますが、誰かを亡くした時に悲しみや寂しさを覚えるのは当然としても、もう一度会いたい、よみがえらせたい、と思ってしまうと、それは哀悼ではなく生きている者の身勝手な欲望なのではないかーー物語の中では、そんな死生観と科学技術の進歩が交錯し、一言では答えられない問いが発せられています。
また、若者に欠かせないガジェットとしてのハチドリという設定はユニークではっとします。現代ならスマートフォンが近いのかもしれませんが、ハチドリは所有者の頭の上を飛んでほとんど同じ目線であらゆることを記録しているため、より個人に密着したデバイスとして機能しています。母親はそういったアイテムには抵抗感があるのですが、娘はハチドリに対して(母親が気まずく思うくらい)何を隠すこともなくすべてを記録させており、世代間に横たわる新技術とプライバシーへの感覚のギャップも巧みに描かれています。
一方で、死んだ娘の魂をハチドリに入れてよみがえらせる物語、と考えると、SFでありながら不思議に民話のような味わいも感じられます。なんとなく、中国の昔話にそんなお話があっても不思議ではないように思えます。扱っている問題の難しさと、それに比して素朴なまでの明快なストーリーが魅力的です。
作者について
楊晩晴さんは2回目のご紹介。プロフィールはこちらでご紹介しました。今年に入り、さっそく長編小説「金桃」が刊行されています。
本作は2022年に星雲賞を受賞。これまでに英語とイタリア語に翻訳されています。ぜひ、日本語にも翻訳されてほしいですね。