見出し画像

「科幻世界」を読む(2)科学者の頭の中:程婧波「且放白鹿」


あらすじ

「科幻世界」2023年第11期掲載。
元大学教授の李同芳は70歳を迎え、忍び寄る老いに憂鬱な毎日。さらに、がんが見つかった妻・舜華があっけなく亡くなってしまう。
同芳は妻の不在を受け入れられず、自然言語処理の仕組みを応用したとあるウェブサイト上で舜華を再現することに打ち込む。そんなある日、妻の遺品を片付けていた同芳は、李白の詩の一節が書かれた紙を発見する。その字は同芳のものでも舜華のものでもなかった。
不思議に思った同芳はコンピューター上の〈舜華〉にそのことを尋ねるが、思うような回答は得られない。科学者としての頭脳をフル回転させた同芳は、一つの結論に達する。それはこの世界を揺るがす大問題だった……。

感想

ストーリーはもちろん、文章もとても凝った小説です。各章の冒頭に川劇(四川省の伝統芸能。中華料理店などで見られる変面ショーもその一つ)から詞章が引用される一方で、本文中にはこの世界の成り立ちを説明する方程式が書かれていたりします。
そして最も重要なのは、タイトルの由来にもなっている「别君去兮何時還?且放白鹿青崖間」。李白の詩「夢遊天姥吟留別」という詩の一節だそうです。
この詩について中森健二さんの論文「李白『夢遊天姥吟留別』考」(『高知大国文』23号、1992年)を発見。詩の全文が載っていて、本来はとても長いことがわかりました。
この論文によれば、前後の書き下しと意味は以下の通り。

古来万事東流水 古来万事 東流の水
别君去兮何時還 君に分かれて去らば何(いず)れの時か還らん
且放白鹿青崖間 且(しばら)く白鹿を青崖の間に放ち
須行即騎訪名山 須(すべか)らく行きて即ち騎(の)りて名山を訪ぬべし

古来、万事は東流の水の如し。諸君に分かれて、いったい何時(いつ)帰れようか、当てとてない。まずは白鹿を青崖に放ち、出かけるおりにはこれに騎(の)って名山を訪ねよう。

中森健二「李白『夢遊天姥吟留別』考」『高知大国文』23号、1992年。
引用に当たって読み仮名を追加しました。

……日本語にするとむしろ難しいような。
昔から確かなことなど何もない。それは人間も同じで、私だってあなたと別れたらいつ帰ってこられるかわからないのだ。今しばらくは風光明媚な景色の中に白い鹿を放って過ごそう。そして鹿に乗ってここを発ったなら、ぜひあの名高い山に行ってみようではないか、というような意味でしょうか。
「夢遊」と題にあるとおり、この詩は夢の世界で楽しく過ごしたいという気持ちを描いており、白い鹿は伝説の中の神々が乗る動物なのだそうです。そんな鹿を自由に遊ばせてその光景を眺めるとは、なんとも風雅ですね。その境地は同芳が夢見るものなのか、それとも……? 想像が広がります。

このような古典文学の引用と同時に、物語の中では「人間とは理解可能な情報の集合である」という目からうろこの視点が打ち出されていたり、ボストロム、シャノン、チューリングら実在の哲学者・数学者の議論を援用して〈舜華〉とは何なのかを説明したりと、「人間とは何か」「AIに意識はあるのか」「肉体を失った意識はどうなるのか」といった現代的で深遠なテーマが取り上げられてもいます。
古典文学と最先端の科学技術、そしてそれらへの深い思索。これぞ中国SFのだいご味と言いたいような作品です。

作者について

程婧波さんは1983年生まれ。短編から長編、エッセイまで多数手がけるほか、英語作品の翻訳も行っています。本作で銀河賞と星雲賞の短編部門をダブル受賞しました。
日本では「蛍火の墓」(『折りたたみ北京』ケン・リュウ編、中原尚哉ほか訳)、「さかさまの空」(『月の光』ケン・リュウ編、大森望、中原尚哉ほか訳)など、早川書房の現代中国SFアンソロジーシリーズで作品を読むことができます。