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女が産む、男が産む、そして……:陳楸帆「這一刻我們是快楽的」


あらすじ

2019年刊行『人生算法』所収。

これは2015年から2040年の25年を費やして制作された、世界中の人々へのインタビュー映像による一編のドキュメンタリー映画である。
呉英冕、女性経営者。現在の社会的地位を守るため、代理母による出産を計画している。
大野敬二、マルチメディアアーティスト。自身の作品として、自分の体に人工子宮を造設して子供を産むパフォーマンスを行う。
ハンナ&ファティマ・クーン、同性カップル。自分たちの子供を望んでいる。
ネハ・スリヴァスタヴァ、代理母。自分の子供たちを育てるため、代理母として生計を立てている。
MOW45、SHIVAラボ窓口担当。詳細は不明。
それぞれが産むことと生殖について自分なりの考えを持ち、行動に移していく。呉が代理母を利用する理由。ハンナとファティマの愛、そして二人に注がれる社会からの視線。あるいはパフォーマンスとして出産しようとした大野を襲った感情。さらに謎の団体・SHIVAラボの企み。生殖をめぐってさまざまな立場が交錯する。人類を待ち受ける未来とは?

感想

この作者の作品を初めて読んだのは『折りたたみ北京』所収の「鼠年」でした。同時にこれが中国SFとのおそらく最初の出会いだったため、それ以前に読んでいた中華SFであるケン・リュウ作品との違いに驚き、あまりに陰鬱な世界観にタジタジとなった記憶があります(その次に掲載されていた「麗江の魚」を読んで少し安心しましたが)。
今回の作品も全体としては暗いトーンなのですが、ドキュメンタリー映画を文字で表した言わば脚本のようなスタイルになっているためか、読みやすく感じました。また、女性が自分のために産み、他人のために産み、また男性が産み、さらに人類がどちらからでもない形で産むようになるという物語の構成がとても巧みで引き込まれます。
この作品以前のたくさんの小説や映画で実践されているように、「誰が、誰のために産むか」について、上記のどれか一つを大きなテーマとして物語を作ることも十分可能だと思いますが、全部扱ってしまう大胆さと技量はすばらしいの一言。
作中では、現実の問題に直接的に関わるような女性たち一人一人の思いも見逃せませんが、近未来SFとしてはパフォーマンスで子供を産む芸術家の大野敬二が深く印象に残りました。将来、人工子宮の技術が実用化されたら本当にこんなことをする芸術家がいるかもしれない……と思えるようなキャラクターです。芸術は昔から人間の肉体を一つの美の極致として扱ってきましたが、大野の存在からは、その思想自体が「美」や「芸術」の名の下に何かを軽んじたり、何をしても許されていると思い込んだりしているのではないか、という警告も感じました。
また、謎に包まれたSHIVAラボもとても気になります。現実世界でも時折、「夫はいらない、でも子供は欲しい」という女性の声が聞かれますが、それを突き詰めていくとこんなふうに両性の交渉を必要としない生殖技術の開発につながるのかもしれないな、と思いました。ちなみにラボの名前の由来はインド神話のシヴァ。大野敬二のケースといい、結局行き着く先は両性具有的な自己充足なのだとすると、人類の繁栄の象徴に見える科学技術が本当はどこへ行こうとしているのか、ということを考えずにはいられません。

作者について

陳楸帆さんは1981年生まれ。1996年、「誘餌」で『科幻世界』に作品が掲載されました。その後の活躍は説明するまでもありませんが、短編から長編まで多くの小説作品があり、星雲賞、銀河賞など受賞多数。また、ケン・リュウ、ル=グウィンら英語圏の小説翻訳も手がけています。
日本語への翻訳も進んでおり、ケン・リュウによる中国SFのアンソロジー『折りたたみ北京』と『金色昔日』に「麗江の魚」(中原尚哉訳)など合わせて5編が収録されています。短編ではほかにも「勝利のV」(根岸美聡訳/立原透耶編『時のきざはし』所収)、「女神のG」(池田智恵訳/立原透耶編『宇宙の果ての本屋』所収)、「菌の歌」(中原尚哉訳/ジョナサン・ストラーン編『シリコンバレーのドローン海賊』所収)などが入手可能。また、長編『荒潮』(中原尚哉訳)が2020年に刊行されています。