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奇妙な体験(3) ――「引き裂かれた心」に連れられて――

 翌、旧暦1月1日の朝にA先生からメールで、「昨日は申し訳なかった。夜10時20分に友達宅に着いた」という連絡が来ました。
 私は「心配したよ。でもまあよかった。今度また一緒に飯を食べよう」というメールを送りました。
 その返事は来ませんでした。

 その翌日は、私は楚河漢街まで散歩に行くなど、気楽に正月気分を味わっていました。
 楚河漢街というのは、武漢にある人工河川「楚河」沿い約2㎞にわたって建設された、複合商業施設が立ち並ぶ「漢街」という名の町のことで、建物は中華民国時代の建築様式をベースに建てられています。
 何事も巨大な中国ですが、運河沿いのショッピング街としては世界一の規模を誇ると聞いたことがあります。 

楚河漢街は宿舎から徒歩20分ほどのところにありました。

 翌旧暦1月3日(2月18日)の昼、大学の外国人教師連絡網に、D先生から、「A先生を探しているが、誰か知らないか」という連絡が入りました。
 D先生の名を私はそれまで知りませんでしたが、後で分かったことは大学の教務部の先生だということです。
 私は、「3日前にA先生とともに行動した、2日前の朝にメールをもらった、それ以降は連絡がない」という返事をしました。
 すると、今度はD先生から私個人宛にメールが来て、「実は昨夜、警察とJさん――A先生の友人で、あの日彼はJさんの所へ行こうとしていた――がA先生を大学に送り届けてきた。ところが、今また彼は行方不明になった」と言うのです。
 Jさんとも連絡を取りましたが、A先生は大晦日の夜、半裸の状態で警察に保護されたそうです。
 彼は自分の服を脱ぎ棄て、道端のゴミ箱に投げ入れていたとか。(因みにJさんは、大晦日に私がA先生とともにJさん宅を訪れるとは聞いていないとのことです。)
 詳細は不明ですが、A先生は警察に保護されJさん宅に送られた、しかし彼はまた警察の世話になり、結局警察とJさんによって大学に戻されたが、また失踪してしまった、ということらしいです。
 私はかなり心配しました。
 ひょっとしたら、もう長江に身を投げてしまったのではないか。
 そうしたら永遠に彼は浮かび上がってこないだろう……。
 そんなことまで考えました。
 D先生は彼のよく行く教会に彼を探しに行きました。
 私はA先生がボランティアに行った広東省の村に戻っている可能性もあるので、そちらの連絡先を聞き出すことにしました。

 そうこうしているうちに、D先生から、「派出所から電話があって、彼を保護しているから引き取りに来てほしいとのことだ」という連絡が来ました。
 これでまた、一安心です。
 私はD先生に、「私にお手伝いできることがあれば、何でも言ってほしい」と伝えておきました。
  私も派出所に行きたかったのですが、どこの派出所であるかもわかりません。
 夜になってようやく大学の教務部のもう一人の先生、L先生から連絡が入りました。
 今から迎えに行くから、一緒に警察に来てほしいと言います。
 私はL先生の車に乗って、夜8時ごろ警察に向かいました。
 車を降りると、建物の前には大きく「公安」の文字が見えました。

 D先生はすでにそこに到着し、警察と話をつけておられました。
 どうやらA先生は、病院行きと決まったようです。
 本人も同意しているとのことでした。
 D先生もL先生も女性で、体の大きなA先生を病院に連れていくのには心配もあったようです。
 それで私に「一緒に病院について来てほしい」と言いました。

 警察に案内され、私は生まれて初めて留置場の中に入りました。
 鍵付きの鉄格子の扉を二つ潜って、彼のいる灰色の部屋に入りました。
 窓もなく、何もない部屋の真ん中で、彼は後ろ手を縛られた状態で椅子に座らされていました。
 明らかに異様な目つきをしていましたが、私は彼の前に行き、しゃがんで彼の眼をじっと見つめ、心配していたことやともかく見つかってよかったことなどを話しました。
 彼も私の顔を見て表情が柔らかくなったようです。
 ともかく、警察も言葉があまり通じないこともあり、また少々暴れたらしく、困っていたようです。

 私が警察に、「A先生をこの部屋から出してもいいか」と尋ねると、「かまわない」と答え、彼の縄をほどいてくれました。
 私は彼が逃げ出そうとしていたことを聞いていたので、彼の大きな体を抱えるようにして部屋から出ました。
 これからL先生の車に乗って、病院に行くのです。
 ですが、案の定、彼は警察の入り口に来ると、私の手を振り払って逃げようとしました。
 私は必死になって彼を引き止めました。
 警察が数人がかりでまた彼を縛り上げてしまいました。
 
 その後、私は警察のワゴン車の一番後部座席に彼とともに座り、ともに病院まで護送されました。
 前には警察が四人乗りました。
 彼らはほとんど無言です。
 私は、A先生と世間話をするよう努めましたが、それでも話は途切れがちでした。
 深夜の武漢市内をずいぶん走りました。
 40分ぐらいはかかったと思います。
 とても大きな病院に着きました。
 湖北省人民医院という名だと後で知りました。
 そこでもずいぶん待たされました。
 結局、そのまま入院となりました。
 私が彼に付き添って、病院に中に入りました。
 もちろん精神病棟です。

 入院の手続きが終わると、D先生がすまなそうな顔をして私に言いました。
 「彼には付き添いが必要である。私たちは女性なので、付き添うことができない。申し訳ないが、今晩、ここで彼に付き添ってもらえないか」
 私はもともと何かしらそういう予感めいたものを感じていましたから、一も二もなく引き受けました。
 その中がどんな世界なのか、その中でどうすればいいのか、何も知らず、何も知らされないまま、私はまた鉄の扉の中へ入り、今度は精神病棟の一室で一夜を明かすことになりました。

 もう深夜の0時に近い時間でした。
 同室には、他に二人の入院患者とその付き添いがいました。
 二人の入院患者はともに中年の男で、二人ともベッドに縛りつけられていました。
 一人は手足と胴体を縛られ、全く身動きがとれない状態でした。
 暴れでもしたのでしょうか。
 もう1人は両手を縛られているだけでした。
 温和な感じの人で、縛る必要はないように見えました。
 付き添いは2人とも若者でした。
 
 A先生は病室に入ると、ベットの上に跪き、小声で何かを呟き続けました。
 きっとお祈りをしていたのでしょう。
 私は掛布団をもらい、彼のベッドの隣にある簡易ベッドで寝ることになりました。
 しかし、彼はすぐには寝ません。
 留置所にいる間、彼は一睡もしていないということでしたので、すぐに寝てくれてもよかったのですが。
 警察に捕まり、縛り上げられたのですから、興奮して寝られないのでしょう。
 暫くすると、彼はプラスチックのコップを持って、部屋の隅にある共同トイレの中に入りました。
 その中でコップを使って、何かごそごそし始めたのです。
 当然音が出ますから、私はトイレの外から彼に呼びかけ、早く出るよう促しました。
 二人の青年はすでに寝ていましたが、何の文句も言いませんでした。
 おそらく二人が介護する患者たちも奇声を上げたり動き回ったりして、他の人に迷惑を掛けていると感じているからなのでしょう。
 A先生がようやくベッドに戻り静かになったので、私は部屋を出て、活動室とかいう名前の部屋で、大学の先生やTさんに現状を報告しました。
 病室の中でメールを打てば、スマホの光や音が他の人の迷惑になるからです。

 ところが、ベッドに戻って来ると、彼の姿がありません。
 外には逃げ出せないものの、他の部屋へ行ったのではないかと心配し、探したら長い廊下の隅にある長椅子に座っていました。
 私も黙って彼の側に座りました。
 患者たちも寝ているので、何も話さず、ただ横に座り続けました。
 しばらくしてから、私が「部屋に戻ろうよ」と言うと、彼は素直に従ってくれました。
 ベッドに横になって少し経つと、彼は寝息を立て始めました。
 そこで私も寝ることにしました。
 午前2時を回っていました。
 私もすぐに寝たようです。
                             〈続く〉

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