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漢詩自作自解⑮「春日長城」

 今から30年ほど前、ある日本人が中国が好きで、たびたび中国旅行に赴いていました。
 ある時、敦煌へ旅行し、土産物屋に寄りました。
 その店の人が言うには、「ここに中国人は来ません。来るのは外国人ばかりです」と。
 まだ貧しい時代の中国ですから、旅行する余裕などなかったのでしょう。

 その店に、ある僧侶が竹に彫ったという般若心経が売られていました。
 ちょっと高価だったのですが、手が出ない値段ではありません。
 その人は思い切って、その「竹簡」般若心経を購入しました。
 今、その般若心経は額に納められ、その人の家に飾られています。


 その後、中国は高度経済成長し、それに伴って、旅行もブームになりました。
 海外旅行も盛んになり、日本では中国人の「爆買い」が流行語になるほどでした。
 国内旅行も人気で、連休の観光地などは大勢の人で賑わうようになりました。
 有名な万里の長城などには、身動きが取れないほどの人が訪れたことがニュースになっていました。

長城を訪れた観光客


 2019年3月、張冬晢君が万里の長城へ旅行し、写真を送ってきてくれました。
 3月末とはいえ、長城付近はまだかなりの寒さです。
 その写真には、まったく人気ひとけのない長城と周辺の縹緲ひょうびょうたる山々が写されていました。
 これもまた「春望」の光景かと思わせる一枚でありました。


  春日長城

長城万里眺無辺
 長城万里 ちょう無辺
高塁百重風有旋
 高塁百重こうるいひゃくちょう 風 めぐる有り
群雄興廃夢中夢
 群雄の興廃 夢の中の夢
登高回顧玄又玄
 登高して回顧すれば 玄の又た玄

〈口語訳〉
  春の日の長城
長城は万里にわたって続き、その眺めは限りない。
高く築かれた数多くの砦の間を、つむじ風が吹き荒んでいる。
ここ長城で群雄たちが興亡をかけて争ったのも、今となっては夢の中の夢だ。
もう一段高い所に上って世界と歴史を振り返れば、万物の根源と時間の深遠とをのぞき込み、目くるめく「玄」なる世界に引き込まれるように思われた。

〈語注〉
〇無辺…果てしなく広々としていること。
〇高塁百重…高い砦が延々と築かれているさま。
〇回顧…「後ろを振り返る」と「過去を思い返す」という、二つの意味がある。

〈押韻〉
辺・旋・玄
下平声 一先

〈対句〉
起句と承句


 むろん、私自身が長城の頂に立ったわけではありません。
 ただ、私の心は長城の砦に立ち、虚空を旋回する凄風に吹きさらされていたのでしょう。
 杜甫の『兵車行』に「新鬼煩冤旧鬼哭 天陰雨湿声啾啾(新鬼は煩冤し旧鬼は哭し、天くもり雨湿うるおうとき声啾啾しゅうしゅうたり」の句があります。
 写真に、長城二千年余の旧鬼たちのおびただしい慟哭が見えるかのようでした。

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