古典擅釈(13) お金の価値、仕事の価値『耳嚢』③
さて、第一話は「金では評価できない仕事の価値」、と言うより「金で汚してはならない職人の魂」が描かれています。
古鏡を研ぐことは、年老いた鏡研ぎ師にとって、仕事の命に触れる行いであったのでしょう。
自分だけが研ぐことができるという自負、七日間の潔斎の緊張、見事に研ぎあげた能力、古鏡を恐れる謙虚さ。
短編ながら老鏡研ぎ師の心が凝縮して描かれ、優れた作品となっています。
第二話は、武具に生活を賭けた武士の話です。
甲冑に対する執念は、当代切っての名工明珍を越えていたと言えましょう。
かの武士にとっては、身なりによって自分が疑われたことよりも、武具をまけるなどという考えのほうがこの上ない侮辱であると感じられたのでしょう。
値引きしてよいものというのは、それだけそのものが雑に作られたものでもあるということです。
武士の態度からは、侍であることへ矜持や武への尊崇が感じられます。
『耳嚢』からもう一話、紹介します。
前二話ほど極端ではなく、日常を感じさせる話です。
〈第三話〉
赤坂であったか、糀町であったか、はなはだ貧乏な火消与力がいました。
借金も多く、生活は困難を極めていました。
ある時、夫婦は相談しました。
「このままではとてもやっていけまい。先祖からの家を絶やすのは恥知らずなことであるから、このあたりで踏ん切りをつけよう」
こうして、妻をとある大名のもとへ奉公に出し、二人の娘は些少の手当をつけて親戚にその養育を依頼したのでした。
男は、我が身と下僕一人馬一匹だけの暮らしとなり、飢えず凍えず、かつかつの状態で日々を送りました。
三年後、男はついに借金を返済しました。
それでもなお一年ばかり同様の生活を続けますと、人並みの暮らしを立てられるまでになりました。
もはや他人に世話を頼むべきではないと考え、娘を戻し、妻の暇ももらおうとしました。
ところが、妻はこう言いました。
「家に帰るのはうれしいけれど、もう一年も我慢して今の生活を続けたならば、娘を嫁入りさせるほどの貯えもできましょう」
この時、男は次のように諭しました。
尤もなるやうながら、それはこれまでの志と違ひ、欲心なり。天の憎しみを受け、親族もなんぞ心よくうけがはんや。かかる事はせぬ事なり。
なるほどもっともなことのようだが、それは今までの考えとは異なり、欲念というものである。天の憎しみを受け、親族も決して快く賛成してくれぬであろう。そういうことはしないものだ。
その後、その家は相応に栄えて、二人の娘も嫁に出すことができ、今では楽しく暮らしているということです。
何が大切かについて考えさせられる、味わい深い話です。
〈了〉