古典擅釈(29) 清らかに生きる『枕草子』②
一条天皇は、定子を深く愛しておられました。
御子にも会いたいと強く願われたのですが、やはり道長を憚っておられました。
半年ほどして、ようやく定子と御子の参内が実現します。
天皇はそのまま二カ月にわたって定子を引き留めました。
そして、定子は再び懐妊したのでした。
第二子は皇子でした。
若宮誕生の恩赦によって、伊周と隆家は配所から都に召還されました。
しかし、もう昔日の勢いはありません。
道長の娘、彰子が一条天皇に入内すると、定子は皇后に祭り上げられ、彰子が中宮に立てられました。
失意の皇后定子は、ただ涙に明け暮れる日々を送るだけでした。
やがて第三子を出産。
女の子でした。
そのまま定子は亡くなります。
二十五歳の若さでした。
伊周は赤児を抱き、定子の傍らに伏せって、声も惜しまず泣いて言いました。
「日ごろ、心細そうなご様子にいかがであろうかと気遣い申していたが、よもやこんなことになろうとは思いも寄らなかった。
命長いことは、つらいことであった……」
天皇に宛てた定子の辞世が残されていました。
よもすがら 契りしことを 忘れずば 恋ひん涙の 色ぞゆかしき
終夜、わたくしにお誓いくださったことをお忘れでないなら、亡くなったわたくしを恋しく思って流される帝の涙の色を知りとうございます。
知る人も なき別れ路に 今はとて 心細くも 急ぎたつかな
誰も知る人もないこの世との別れ路に、今が最後と思って、心細い気持ちのまま急ぎ旅立つことです。
煙とも 雲ともならぬ 身なりとも 草葉の露を それと眺めよ
火葬されず、煙とも雲ともならないわが身であっても、草葉に置く露に、土の下に眠る私のことを思い出してください。
一条天皇と皇后定子の愛情が、権力闘争の世界の醜怪さから私たちを救ってくれるかのようです。
『枕草子』は失意の定子をほとんど描いていません。
ただ、次のような場面があります(第138段)。
道隆死後、清少納言は道長に通じる者と同僚に目されて、出仕を見合わせていることがありました。
そこへ源経房がやって来て、定子のことを話題に出します。
「今日、定子様の御殿に参りましたところ、たいそうしんみりとしたご様子でした。
女房たちも季節にふさわしくみごとな装束をして、たゆむことなくお仕えしておりましたよ。
ところが、お庭の草がひどく茂っておりましたので、私が『どうしてこのままなのですか。刈り取らせなさればよろしいものを』と申しますと、女房の宰相の君が、定子様に代わってこうおっしゃいました。
ことさらに露おかせて御覧ずとて。
わざわざ、草に露を置かせて御覧になろうとおぼしめしなのでございます。
雑草を払わせずに、露を置かせて御覧になった定子の心情はどのようなものであったか。
心の悲しみ、我が身のはかなさを雑草に置く露に投影したと見るのはたやすいことです。
しかし、ここには悲しさとともに、何かしら定子のたくましさのようなものが感じられます。
雑草の露を見つめることによって、我が身の運命を受容しようとする定子の意志を読み取ることができます。
検非違使たちの狼藉を受けつつも、「さば、世の中は……」とつぶやいて瞑目した定子のことです。
度重なる悲しみの中でも、汚れることのない心をもち続けてきた定子のことです。
権力や財力とは関わりのない、清らかであることの強さがあるのだと思われます。
「この世をば…」と歌った道長は権力や財力を一手に握り、確かに全天を照らす満月のごとき存在でした。
これに対して、定子は草葉の片隅に光る小さな露に過ぎません。
しかしそれでも見える人には見えます。
見える人に見えれば、それでよい。
それが定子の辞世の三首目の歌の意でしょう。
十一年後、一条天皇は崩御します。
その辞世。
露の身の 風の宿りに 君を置きて 塵を出でぬる ことぞ悲しき
露のようにはかない人の身が、風の吹く宿りに身を置けば、すぐにでも吹き飛ばされそうになる。(あなたも長く政治の圧力に苦しめられ続けてきた。)そんな危うい濁世に残された(土葬された)君を置いて、塵外の世界に出立しようとすることが私自身とても悲しく思われる。
一条天皇の歌った「露」とは、定子のことに違いありません。
一条天皇は「満月」ではなく、「露」を見つめていたのだと思います。
〈了〉