古典擅釈(12) お金の価値、仕事の価値『耳嚢』②
〈第二話〉
寛政六年(1794)冬のこと。
甲冑師の名人、明珍のもとに風采の上がらぬ一人の武士がやって来ました。
「具足一領こしらえたい。注文はこの通り。およそいくらで出来上がるものか」
明珍は注文の書き付けとその男とを見比べていましたが、どうも具足を求めるほどの武士とは思えません。
「およそ百両余りで仕立ててさしあげることができましょう」
「ならば、さっそくお願い致したい」
明珍は思わず次のように言いました。
「世の中にはさまざまな手段を用いてペテンに掛けるような輩もおりますゆえ、気掛かりですので、いよいよご依頼ということでございますならば、職人どもにもしかと聞きただし、お値段を決め申し上げましょう」
武士が帰ると、明珍は手代たちと相談しました。
「先刻の侍は、どう見ても高価な武具をあつらえるような人品ではない。注文通りなら、およそ百両余で出来上がるが、むしろ百五十両ほどに申し伝えてもよかろう。おのおのがたはかの侍の居宅も見届けておいていただきたい」
翌日、また武士はやって来ました。
「見積もりは出来申したか」
「百両余りとおよそに見積もり申しましたが、お好みどおりに致すよう見積もりましたところ、百五十両でございましたなら、必ずや念入りに仕立て上げることが出来ましょう」
「あいわかった。そのとおり頼み入る。さっそく取り掛かっていただきたい」
武士は手付金五十両を渡し、証文を受け取ると帰ろうとしました。
明珍にはまだ疑いの念が残り、明日、屋敷に参上する旨、武士に伝えました。
その翌日、小石川にあった武士の屋敷に赴くと、門や塀、家造りはあちらこちら破損の様子で、予想以上に貧乏な様に明珍も驚いたのでした。
取り次ぎを申し入れ、対面すると、確かに前日やって来た武士が目の前に現れました。
「当方も先年の火事で類焼して以来、不如意なことも多うございますゆえ、今少しお支払いいただけないでしょうか」
「全額耳を揃えて支払うべきではござるが、現在、二十両の有り合わせしかない。あと三十両は明日お渡し致そう」
明珍は二十両を受け取ると、家に帰り、仕事に取り掛かるよう命じました。
「近所の者の話でも、かの侍の暮らし向きは芳しくなく、もろもろの支払い、掛け買いにおいても不十分なこともあるとのこと。不審なことではある」
そんなことを考えていたところに、また武士が現れました。
仕事の取り掛かりを気にしているようなので、明珍は具足の下地に用いる鉄などを見せて回りました。
「昨日、約束の金子である」
こう言って、武士は三十両を差し出しました。明珍は驚いて、思わず答えました。
「それにしても、近ごろ新たにお好みによって甲冑をお仕立てなさるような方はあまりおられませぬ。そのお心掛けは、憚りながら、感心致しておりまする。手前どもの仕事ゆえ、ご注文どおりお仕立て致し、これ以上のお支払いはおまけ申し上げましょう」
すると、武士は意外にも腹を立てました。
「もはや、そちには頼むまい。さだめて屋敷の様子、我らの人品、かような大金を差し出せるほどの者ではないと見なしてのことであろう。我らは若年より武具作り立てんと心掛け、よろず出費を差し控え、収入は蓄え、この度の仕立ての儀を申し付けたのである。武具に対し、まけるのまけないのと、その考えが理解できぬ。こうなっては支払った金子も捨て申すゆえ、金輪際仕立て無用」
これには明珍も困り果てました。
「誠に恐れ入ってございまする。ふと言い違えを致しましたゆえ、残金は引かせていただきお仕立て申し上げましょう」
「武具に引くとの言い条、うれしくないことよ。どのみち頼むまい」
こうして武士は憤慨しながら帰ってしまいました。
明珍父子は親戚ともども、毎日のように小石川の屋敷に通い、手を擦り詫びを入れたのですが、翌年になっても話は収まらなかったとのことです。
※ ウィキペディア「明珍信家」は、「需要が減った時代であり、甲冑を新調する者が少なかった為、支払いに対し、疑い深くなるのも当時としては当然の行為である」として、明珍家の対応を擁護しています。
〈続く〉