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奇妙な体験(2) ――「引き裂かれた心」に連れられて――

 7階について私たちはエレベーターを降りました。
 薄暗くて狭い廊下があり、目の前に4つの扉がありました。
 中国らしく、どの家の扉の前にも赤い対聯が貼ってありました。
 さて、どの部屋かなと思っていると、彼は電気の消えた薄暗い廊下の片隅でじっと固まっています。
 どうやら、どの部屋であったかを忘れてしまったようです。
 私は仕方がないので、彼が思い出すのを待っていました。
 4軒しかないのだから、順番にノックしてみたらよさそうなものですが、まあ彼に任そうという気持ちでした。
 数分間、彼はそこに佇んでいたのですが、そして今から考えるとそれはかなり異様なことではありましたが、ともかく彼は入るべきアパートを間違えたらしく、私たちはもう一度エレベーターに乗って下に降り、外に出ました。
 友人宅があるのは、そのアパート街ではなかったようです。

 中国に限りませんが、大都市で迷うとどこへ行けばよいのかわからなくなることがあります。
 今はスマホという便利な道具があるので、それを利用したらいいのですが、彼はそうすることもせず、そのアパート街を出るとひたすら駅の方角に戻り始めました。
 降りるべき駅を間違えたらしいのです。
 彼は私に「間違えてしまって申し訳ない。必ず行けるから(もう少し我慢してくれ)」みたいなことを言いました。
 私の彼に対する信頼はかなり厚いものがありましたので、この期に及んでも私はまだ彼について行くつもりでした。
 とにかく彼には修道士のようなところがあるので、その清廉さと強い信念は人をひきつけたのです。
 
 かなり歩いて元の長港路駅付近に来た時、地下道があったので、彼は降りていこうとしました。
 ところが、それは単なる大通りの向こう側に行くだけの地下道で、地下鉄の入り口ではありません。
 私がそれを指摘すると、今度はすぐ近くのバス停に行き、バスに乗ると言い出しました。
 もちろん、私は今自分がどこにいるかさっぱり分かりませんし(まれにスマホの地図で自分の位置を確認していましたが)、彼ももちろん知らないはずです。
 バス停に表示されるバスの行き先と時刻表すら、彼は確認しようとしません。
 私は、「ここから出るバスの路線も確認していないし、次に来るバスがどこへ行くかもわからないのに、どうして乗るのか」と言ったのですが、彼は次に来たバスに乗り込んでしまいました。
 武漢のバスは正面に路線の3ケタの数字が示されているだけで、行き先は書いてありません。

 仕方なく私もそのバスに飛び乗りました。
 私はバスの路線番号と行き先を確認していました。
 運のいいことに私たちの乗ったバスは漢口駅行で、3つほどバス停を過ぎれば、終着の漢口駅に着くのでした。
 漢口駅は武漢の大きな駅の一つで、地下鉄もあります。
 バスの中で私は、『漢口についたら、いったん宿舎に帰ることを彼に提案しよう』と心に決めていました。
 もう私たちは2時間半近く歩いていたのです。 

 漢口駅に着くと、また彼はずんずんとある方向へ向かって歩き始めました。
 私のことなどお構いなしです。
 私は彼を呼び止めました。
 「Aさん、君はほんとうは友人宅がどこにあるのか知らないのだろう? 今日はもう帰ろう」と言いました。
 しかし、彼は友人宅へ行くと言います。
 私のこともその友人に伝えてあるそうです。
 その友人はきっと私の分も料理も準備しているのでしょうから、ここで私が帰るのはどうかとは思ったのですが、もう日は傾いています。
 夜になっても彼の後をついて、ひたすらどこにあるかもわからない友人宅を目指し、広漠とした武漢の町の中をさまよい続けるのは御免でした。
 「君は道を知らない。このまま歩いても絶対に友人宅には到着しない。」
 ここははっきり言わなければならない、と私は考えました。
 ところが彼は同意しません。
 そして「私を信じてくれ」と言うのです。
 私はちょっと辛かったのですが、きっぱりと「あなたを信じることはできない」と言いました。
 彼も信念の人ですから、物腰は柔らかですが、自分を曲げません。
 仕方がないので、私たちは別れることにしました。
 彼はまた武漢の町のどことも知れぬ方角に向かって、人ごみの中に消えていきました。
 
 私は地下鉄に乗って、宿舎の方に向かいましたが、ふと自分の買い物のことを思い出しました。
 それで、もう町は暗くなりつつありましたが、ウォルマートへ行って、正月を生き延びるための食料品その他を買いそろえました。
 買い物しながらも、ずっと彼のことが気になりました。
 彼はこの大晦日の夜、ずっと武漢の町をさまよい続けるつもりだろうか。
 暴漢にでも襲われたらどうするのだろう。
 結局、友人宅に到着できず、寒空の中で途方に暮れていたら……。
 私は、彼をよく知る友人Tさんに、今日のことをメールで伝えました。
 帰路の地下鉄の中で、できるだけ詳しく今日のことをメールに打ち込み、大丈夫だろうかと尋ねました。
 Tさんからは、彼はもともとそういう所があるから、心配しなくていい、という返事が来ました。
 もう何年もA先生と付き合いのあるTさんが言うのだから、私もちょっと安心しました。
 が、それにしても今日の彼はあまりに奇妙です。
 あまりに不合理です。
 私はA先生にメールを送りましたが、返事は来ませんでした。
 Tさんも心配して、彼に連絡を入れてくれたようです。

 深夜、何時頃であったでしょうか、A先生が無事に友人宅に着いたらしいという連絡をTさんがくれました。
 私はひとまず安心しました。
 ただ、夜の10時20分ぐらいに着いたそうです。
 なんとも遅い時間ですが、私はA先生が事件や事故に巻き込まれたのではないかと心配していたので、何はともあれよかったと思いました。
 
 ところが、実はこの話はこれだけでは終わらなかったのです。

 A先生はともかく友人宅に着いたのですが、私はやはり彼のことが気がかりでしたし、A先生はほんとうは友人宅を知らないのに、なぜ私を誘ったのだろうか、という疑問もありました。
 その時、最も合理的に思えたのは、「彼は私を試したのではないだろうか」という解釈です。
 そもそも信仰心の強い人は、どんなに善良で温和な人であっても、信心については往々にして頑固なものです。
 原理主義的と言ってもいいかもしれません。
 一神教的原理主義というと怖い感じがしますが、もちろんA先生にその恐ろしい一面があったと言うつもりはありません。

 旧約聖書に「ヨブ記」という書物があります。
 敬虔な信仰の持ち主であるヨブに、神が全く不当な試練を与えるという物語です。
 純粋な、というか原理主義的な信仰は、人に不合理を超克することを求めます。
 今回、彼はそれを私に求めたのではないか。
 とても善良で、親切で、温和なA先生であり、一度も私に信仰を求めたことのないA先生ですが、内心では私にもキリスト教徒になってほしいと願っていたことでしょう。
 今まで何度か教会に行こうと誘ってきたのも、裏にそういう気持ちが全くなかったとは言えないはずです。
 「奇妙な状況も乗り越えて、あの男は私(A先生)に付いてくるだろうか。
もし付いてきたら、同じ道を歩む同志として一緒にやれるのではないか。」
……彼はそう考えたに違いない。
 その時の私は、こう考えることがあの不合理な行動の最も合理的な解釈だと思いました。
 私も少しおかしくなっていたのかもしれません。

 実はあの日、武漢を二人でさまよう中で、彼は何度か「神が導いてくれる」と語っていたのです。
 敬虔なキリスト教徒の彼が言うから自然に聞こえました。
 でも、冷静になって考えれば極めて不自然な言葉です。
 神が導いてくれたなら道に迷うはずがないし、神が試練を与えたにしては試練があまりに軽微です。
                             〈続く〉

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