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古典擅釈(27) 悲しみについて『建礼門院右京大夫集』②
翌年(1184)、平家の戦死者の首が都大路を引き回されました。
重衡が捕らわれたという話や維盛が熊野で入水したうわさが伝わってきます。
その翌年、今度はとうとう資盛が壇の浦で戦死したという悲報が入ってきました。
彼女は蒲団を引き被って泣き暮らします。
なんとかして忘れようとするのですが、資盛の面影は身に添い、彼の言葉の一言一言が耳に残って、その悲しみは尽きることがありません。
世間の死別ということも、この悲しみに比べれば、何か尋常のことのように感じられるほどでした。
なべて世の はかなきことを かなしとは かかる夢見ぬ 人やいひけむ
世の人はみな死というものを「悲しい」と嘆くが、それは夢としか思えないほどの辛い思いをしたことがないから、そんなふうに言えるのではないだろうか。
その後、彼女は大原に隠棲した建礼門院を訪ねました。
女院は、壇の浦で目前にまだ幼い安徳天皇の入水を見届けると、自らも海に身を投げました。
ところが、哀れにも引き上げられ、出家して、山深い大原の地に余生を送っているのでした。
彼女は、ただ自分の女院を慕う心だけを頼りにして、深い山道に入って行きます。
女院の庵の有り様は目も当てられないほどのものでした。
秋深い山おろしの音、筧の水の響き、鹿の声、虫の音。山里には当然の風情でありながら、ためしないほどの悲しさです。
昔は、錦を重ねた六十人余の女房たちに囲まれていた女院でしたが、今では見る影もなく、ただ三、四人の尼が墨染めの姿でお仕えしているばかり。
彼女も人々も、「それにしても…」という言葉が口をついただけで、後は涙にむせぶばかりなのでした。
今や夢 昔や夢と まよはれて いかに思へど うつつとぞなき
今が夢なのか、それとも昔が夢だったのかと思い乱れる。目前の建礼門院様のお姿を見ると、どう考えても現実のこととは思えない。
彼女は後に後鳥羽院に召されて、再び宮仕えの身となります。
晩年(75歳頃)になって、藤原定家が『新勅撰集』を編纂することになり、彼女に歌を求めてきました。
定家は、「どちらの名で載せましょうか」と尋ねてきます。
建礼門院の女房名と後鳥羽院の女房名と、どちらにしましょうかと気遣ってくれたのです。
彼女はその思いやりをありがたく感じながら、次のように答えました。
言の葉の もし世に散らば しのばしき 昔の名こそ とめまほしけれ
もし私の歌を世に残していただけるのでしたら、忘れがたい昔の名をこそ世に留めたいと思います。
やはり「昔の名」こそが、彼女の一生の証であったのでしょう。
彼女は、作品の冒頭を次の歌で飾っています。
われならで たれかあはれと 水茎の 跡もし末の 世に伝はらば
私以外の誰がしみじみと読んでくれるでしょうか。もし水茎の跡(歌の筆跡)が後世に伝わったならば。
『建礼門院右京大夫集』を読んでいると、思わず感情移入しそうになります。
まことに、彼女ほど悲しい思いをした人はいないのでは、と思うほどです。
しかし、冷静になって読むと、彼女の悲しみにも変化があることが分かります。
資盛が亡くなった時、彼女は「なべて世の…」と歌いました。
歌意は、要するに「私ほど悲しんだ人はいない」、「世の人の悲しみなんて本当の悲しみではない」というものです。
この歌には、他者の理解を拒絶する姿勢が見られます。
愛する人が悲惨な最期を遂げたのですから仕方がないと言えますが、この時の彼女は、自分の感情だけを特別視しており、自分の悲しみに溺れています。
しかし、ほんとうに悲しいと思うのであれば、他者の悲しみと比較するはずがありません。
彼女は、実は悲しみそのものに溺れているのではなく、悲しむ自己に溺れている。
弱々しさを吐露し続けるのは、結局、弱々しくあることの気楽さに安住しているだけです。
これに対し、「今や夢…」の歌には悲しみを客観視しようという姿勢が生まれています。
悲しみが現実のものとは思えないという感触は前の歌と同じですが、その悲しみをどうとらえていいのかわからないのでしょう。
悲しみに溺れているのではなく、悲しみに戸惑っているという感じです。
「われならで…」の歌には、一人よがりではない悲しみのとらえ方が生まれています。
「私以外の誰が、私の悲しみを心から受け止めてくれるでしょうか」
彼女は、自分の悲しみを他の人が正しく理解できるかどうかなんてわかるはずがないことを知っています。
だからこそ、彼女は自分の思いや体験というものをまず自身がしっかりと保持しようとしています。
あえて言えば、他人の安易な理解や同情によって、自分の思いや体験を汚されまいとしています。
しかし、その悲しみは他者に開かれており、他者の理解・共感を期待したものになっています。
他者に閉ざされた表現は、一見どれだけ見事な言葉遣いをしていようが、どれだけ深い思いを語っているように見えようが、結局は自己満足に過ぎません。
他者に開かれた自己表現こそ、理解や共感に繋がります。
その姿勢が「もののあはれ」や「わび・さび」といった美意識に昇華されていくのではないでしょうか。
〈了〉