奇妙な体験(4) ――「引き裂かれた心」に連れられて――
留置場と精神病院。
人生で今までに経験したことのない世界を、異国で一晩に2つも経験することになりました。
2つともあまり関わりたくない世界ではありますが、それほど嫌悪感はありませんでした。
自分自身が悪いことをしたり、狂ったりしたわけではないからだと思いますが、一つは友人のために何とかしたいという気持ちが強かったのだと思います。
偽善めいた言い方ですが……。
恐怖や不安は全くと言っていいほど感じませんでした。
翌朝は5時半ごろに目が覚めました。
睡眠時間は少なかったですが、熟睡できた感じです。
彼はまだ寝ていました。
昨日の午後から何も食べていませんでしたが、不思議にお腹も減りませんでした。
明るくなって窓のカーテンを開けると、4階の部屋の大きな窓一面に、蜘蛛の巣のような鉄格子がはめられていました。
朝になると、別の部屋の患者たちが集まってきました。
白人の大男が珍しかったのでしょう。
乱暴な患者はいませんでしたが、やはりみんなどことなく異常です。
にこにこした若い男がやって来て、彼の友人だと言います。
初め、私はほんとうに彼の友人が見舞いに来たのだと思いました。
彼にいろいろ英語で話しかけますが、彼は何も返事しません。
その内、私にも話しかけてきました。
私は「申し訳ない、私は英語ができないので」と言っても、ひたすら私にも英語で話しかけてきます。
何を言っているか分かりませんが、簡単な単語ぐらいはわかるので、英語らしい感じはします。
私には判断できませんが、極めて流暢な英語に聞こえました。
ところが、彼の少し話す中国語はたいへん異様なのです。
何を言っているのか分かりませんでしたが、中国語であること、その中国語のイントネーションが全く普通でないことぐらいはわかります。
この若い男の使った言葉が方言であったとしても、方言なら方言で、言語の持つ自然なイントネーションやアクセントがあると思うのですが、それが感じられませんでした。(タレントのタモリさんが以前、各国の言葉の真似をする芸を披露されていましたが、あの“中国語”をさらに極端にした感じです。)
D先生からは、昼ぐらいまで付き添ってほしいとの連絡が入りました。
10時ぐらいに彼の友人たちが、今度は本物の友人たちが集まり始めました。
教会の関係者、または信者仲間のようです。
一人の若い女性がやって来ました。
彼女とは心が通じ合っているのか、手を取り合って、見つめ合って何か話し込んでいました。
非常に聡明な感じのする人でした。
暫くすると、彼女は自分の鞄を椅子に置いたまま、出ていきました。
なかなか彼女は戻って来ません。
突然、A先生が彼女の鞄を自分のベッドの下に隠しました。
私に小声で「誰かが入って来て、勝手に持って行くといけない」などと言います。
それは彼のしたいままにさせておきました。
ところが、暫くすると、探し物があると言い出します。
そして、トイレのゴミ箱の中をあさり始めます。
私はやめさせて、手を洗わせました。
その後、あろうことか、他の患者の持ち物や引き出しを勝手に開けようとします。
私はまたも身を挺して止めねばなりませんでした。
でもなかなかやめようとしません。
隣の患者の荷物をあさろうとしたとき、もちろん私は全力で止めようとしたのですが、例の付き添いの若者は、黙って様子を見ているだけでした。
そして、A先生が開けようとした鞄の中のお菓子を一つとると、彼にくれたのでした。
A先生はそれでおとなしくなりました。
何だか子供のようですが。
後で思ったのですが、恐らく彼は彼女の鞄が見当たらなくなって、それを探し出そうとしたのでしょう。
自分がベッドの下に置いたことを忘れてしまったのだと思われます。
またしばらくして、A先生は私に「ちょっとこの椅子に座っていて」と言いました。
そして自分は部屋を出ていきました。
私はもちろんついて行きました。
彼はやはり出口を探しているのでした。
扉を見つけては外に出られないか確認しています。
もちろんすべて施錠されていますから、外には出られません。
最後には、出入り口付近に立ちました。
男性の看護師が出入り口で番をしていて、人が出入りするたびに解施錠するのですが、どうやらその合間に自分も抜け出そうという魂胆のようです。
私は彼の前に立ち塞がり、彼が外に出ないようにしました。
その後、男性の看護師に一喝されて、彼はベッドに戻りました。
少しの間も目が離せない状態です。
その内、彼女がまた別の教会の友人たちを連れて見舞いに来ました。
この時、私のためにわざわざギョーザを買って来てくれました。
お陰で私も1日ぶりの食事にありつけました。
午後になってD先生がやって来ました。
私はD先生のご主人の車に乗せてもらい、大学の宿舎に帰ることができました。
以上が、あの春節の日に私が経験したことです。
その後、しばらく病院には行きませんでした。
一度ぐらいお見舞いに行きたかったのですが、一人で病院に行って、精神病患者との面会を中国語で申し込むのは、私にはちょっとハードルが高いと感じられました。
A先生は帰国せざるを得ないでしょう。
彼は中国の社会を愛しており、病院の先生にも自分を中国に残してほしいと訴えていました。
でも、こうなってしまった以上、どうしようもありません。
〈続く〉