古典擅釈(10) 心を知る『近世畸人伝』②
二年ばかり経って、鷗洲は病の床に臥しました。
刀自は心配して鷗洲を都に呼び寄せ、医者の世話もしようとしますが、鷗洲は断ります。
鷗洲には、かつて大橋と呼ばれた遊女で、今では人妻となった姉がいました。
刀自はその姉を鷗洲のもとに向かわせます。
姉のいさめならば鷗洲も聞き入れるだろうと考えたからです。
その時、鷗洲がほほ笑みながら姉に語った言葉は、先の手紙とは別な意味で、そして先の手紙以上に人の胸を打つものでした。
――刀自様が私を憐れんでくださる御恩は、海山とも比べられないほどのものですが、ただわが姉様だけが私の心をよくご存じですから、思うままに申し上げます。
遊女であったころの苦難を姉様はどう思われますか。
恥ずかしく悲しいことを数え立てれば、地獄や餓鬼という境涯もよそごととは思えないほどです。
そこから逃れられただけでもうれしいのに、このように願いどおり尼となって仏に仕えながら暮らせることは、ただもう我が身はそのまま浄土に生まれ変わったようなありがたい気持ちです。
でも、もとよりはかないものに言われる女の心であるうえに、年齢もいまだ二十ばかりでありますからには、この後どうなろうかと己の心ながら推し量ることはできません。
もしゆるむ心が生まれたならば、どんなにか情けなく、残念なことでありましょう。――
遊女の苦しみと苦界を抜け出た喜びとは、経験のない者には決してわからないものだということを鷗洲はよく理解しているのでした。
さらに、あれほど求めた平安を手に入れた今にしてもまだ、自分の心の頼みがたいことをよく承知しているのでした。
鷗洲は続けて驚くべき言葉を発します。
かう心ちの清くあらんほどに身まからばやとおもひとりて侍ればなん、病のたひらぎぬべき薬はさらにたうべじとおもひしめ侍れ。
このように心が清らかなうちにみまかりたいと決心しておりますから、病気が治まりそうな薬は決して口に致しますまいと、深く心に刻みつけているのです。
最後に彼女は付け加えます。
「おおかたの人にはわかっていただけないだろうと思い、今までは黙っていました」
いくばくもなく、鷗洲は亡くなります。
少しの乱れもない、安らかな往生であったということです。
〈了〉