夢という目標の崩壊の中

①オープニング


二回目の投稿です。見ていただきありがとうございます。
私の自己紹介のnoteを見ていただければおおまかな状況がわかると思いますのでそちらもご参照を。
今私の学校は絶賛テスト期間中なのですが、全くやる気が出ません。これがただの怠惰からくるものであればよかったものの、そんな単純なものではありませんでした。

実は高校受験の頃、1日13時間勉強するほどの超ガリ勉だったんです。

登下校中はもちろん英単語を歩きながら暗記、休み時間は当たり前のように勉強。さらには友達のお弁当の誘いも断り1人学校の倉庫の中で自習するほど病的に勉強に熱中していたのです。家に帰ってからは寝る間も惜しみ風呂も時間の無駄だと感じ最後の1ヶ月間は3日に一回しか入りませんでした。(今はその反動が来たせいか1日2回入るように)

それから高校受験が終わり、見事落ち、高校生活が始まったばかりの頃は、数ヶ月前の自分と比べて全く努力できない人間に成り代わっているのをつくづく感じるようになりました。勉強を真面目にするようになったのは中学生からでした。登下校中音楽を聴き、休み時間は友人とだらだら喋り、家に帰っても机に向かわない自分と向き合うのは実に3年ぶりだったのです。3年の時を経て再開した自堕落な自分を、最初はただ漠然と
「あーやばいな。やんなきゃな。」
とゲームしながら思ったりしました。
当時は何かを本気で取り組むことのできる人間でしたが、今はテスト前日になってもゲームしたり動画を見たり…テストの合間の休み時間は皆次のテストの最終確認をしている中1人本を読むという有様。もうここまでくるとやらなきゃなと思うのも怖くなってくるんですよね。もう、何も考えたくない、ただただ楽しく幸せに生きたいと強く思えば思うほど、勉強という負担から目を逸らさなければやっていけないように感じてくる。これは、今見てくださってる方々にも、勉強に限らず仕事や人間関係その他自分の嫌なことそれぞれに当てはまることだと思います。


なぜ、こうも落ちぶれてしまったのか。いや、最初から落ちるほど上になど立っていなかったのだと悟り、なぜ私が昔頑張れていたのかをふと考えてみることにしたのです。このことを考えたのは少し前の、テスト期間が始まる前の話です。まず説明するには私の受験期の頃から遡らなければいけません。




②たった1年前の話


中学3年生の私は、常に人に囲まれて過ごしていました。特に人と話さなかった中学2年生と比べ、学校生活は雲泥の差でした。当時始まったばかりはまだ皆受験を強く意識してはおらず、最後の中学生生活の幕を開けました。

「むんって意外と面白いじゃん!」

クラス替えの最初の休み時間、初めての会話でそう口にされました。
意外とってなんだよとか思ってはいたものの、悪い意味ではないとすぐさま理解できたので素直にありがとうと言いました。実はその女の子は中学2年生の時同じクラスであり、中学一年生当時の友人でした。
去年は全く話しかけてこなかったじゃんと言ったら、中2のころのむんはちょっとうるさくて何言ってるかわかんなかったから距離を置いていたと言われ精神的トルネードアタックをくらったのはまた別の話。
それから色々な人と話してみようという気になり、人見知りだった中学2年生の時とは一変して積極的に人に話しかけるように。少なくとも同性の中ではクラスの中で友達じゃない人はいないくらい交友関係を広めました。1、2年生の頃はコロナで机を繋ぎ昼食を共にだんらんすることができなかったので、初めてのグループ弁当は本当に嬉しかった覚えがあります。中学3年目にしてやっと友達と教室で食事したのです。もうこれからの学校生活楽しくなるしかねーな!と思うくらい有頂天になっていた私に降りかかったのは、


「受験」


という、現実的な問題でした。しかも、それは等しく周りの人間にも振りかざされた。

受験の単語がうっすらと、でも確かに私達の間で流れ込んできた頃のこと。

私のグループの中に、私と同じくらいの学力の子がいました。テストは私とその子の1位2位争いが繰り広げられ、例えばクラスの最高点が公開された時自分より高い点数だったらあああいつだなって思い、思われるくらいのお互い首位の常連でした。そして勉強だけでなくスポーツも万能で性格も明るくエネルギッシュ。何事も満遍なくできる要領の良さとスペックを持ち合わせていました。その子の名前をkさんとしましょう。

最初はkさんとも上手くやっていたのですが、受験という悪魔が牙を剥き始めたころ、kさんも同じく私に対して牙を剥き始めたのです。
当時の私はバカでした。自分に自ら寄ってきてくれるってことは、私のことを好きでいてくれている『いい人』だからだと勘違いしていたのです。悪い人もまた、自分によってくるということを知らなかった。

私は愛されてなんかいなかったのかもしれない。

kさんがだんだん勉強のライバルである私に対して嫌がらせをするようになりました。通りすがりに睨まれたり、内申点を下げようとあることないこと先生に告げ口されたり、塾の帰りで自分がいかに優れているかの自慢話を無理やり聞かされたり、塾で私が人に言ってほしくないことをベラベラ喋ったりなどの行為をするようになったのです。直接悪口を言われたこともありました。そしていつしか周りを撒き込んでヤギとあだ名をつけ、黒板にヤギの顔を書いて横に私の名前を書かれた。
もし今の私だったらかんっかんに怒って速攻絶縁でしたが、当時の私はバカだと言いましたでしょう。

「私のこと好きだから私の似顔絵を描いてくれるんだ!」

当時その似顔絵を見て友達にどんどん描けと言いました。面白いから、と。
kさんふくめ友達達皆は本人が言うならと躍起になり、あっという間に黒板は私のことを描いた落書きで埋め尽くされました。当時私は嬉しかったのです。なぜなら今までこうも人に注目され、黒板に自分のことを頼んでもないのに書いてくれるなんて前代未聞だったのです。みんな私のことを話してる、私のことで笑ってる、最高じゃないか!そう心の中で言葉にする中、確かにこんな思いも混じっていました。

『ここまでしちゃったんなら、もういいよ。好きにしろよ。やっちまえ。』


例えば別れたばかりのパートナーからもらった指輪を一度捨てたらスイッチが入ってしまいパートナーを連想するもの全てをゴミ箱に押し込んでしまったとか、いらいらして二つに破るつもりだった紙をちりじりにしたりとかそう言うことなんだと思う…たぶん。一種の諦めからくるということは確かです。

kさんや私だけでなく、皆苦しかったんだと、今になって思います。

話に戻ると、当時はそう言った睨むとかきついことを言うkさんに対して「ああ機嫌悪いんだな」とか「ストレス溜まってんだな」とかしか思いませんでした。かくいう私もストレスが溜まっていたのです。その子のことだけでなく、受験というひしひしと迫りくる課題に対して四六時中考えなければいけないというのは誰だって負担に感じるもの。私に対して強く当たるkさんに対しても、完全にnoとは言えなかったんです。私と同じなんだなと睨む目に対して憐れむ目を向けていました。

しかし何をされようとそんな目を向け続けた私に対して、kさんの行為はエスカレートしていきます。

クラスメイトがいる教室で囲まれて無理やり下着のホックを外されそうになったのが記憶の中にある1番の出来事です。

あの後なんやかんやありましたが、結局私に対しての誠実な謝罪はされずに終わりました。もう思い出したくないのでこれに関しては詳細を語りません。

とにかくそこまでエスカレートしました。堕ちるとこまで堕ちたとはこのことなのでしょうか…この字面だけ見たら今でも映画の脚本かなんかかって思いますが、確実に現実で過去にあったことです。


ほんとうにつらかった。嫌だと言えなかった自分が本当に憎い。ずっと耐えて、耐えて、我慢してきた。あいつらは私に悪いことするけど、私はしない。だから神様は私のことを見てくれるはず。私にだけ勝利を、幸せを授けてくれるって信じ込まないとやっていけなかった。


ここまでくると、私もどんどん壊れていく。


勉強も集中できなくなり、毎晩毎晩底なしの強烈な不安感に駆られてよく眠れず、半分寝た状態で勉強するようになりました。暗い音楽ばかり聴いて心を落ち着かせてはんば戦場に足を踏み入れる感覚で教室に入る。学校に行けば嫌なことをされ、家に帰ったら即塾に行ってkさんに付き纏われ、やっと帰ったと思えばまた勉強。その毎日が一年ずっと続き、確かに私の心を削っていきました。

そして修学旅行で親友と絶縁。一方的に向こうからでした。思い当たる理由は勝手に部屋の電気を消したから。でもおそらく私の知らないまま傷つけてしまってそれが積み重なっただけだと心に言い聞かせるも、自分の中では到底納得のいかない最後でした。もし私が君に嫌なことをしていたのなら今でも謝る。
ほんとうにごめんなさい。でも、これだけは言いたかった。あなたといた時間は本当に幸せだったと。君は私に対して何も嫌なことしなかったよね。あの時君がいなかったらとっくのとうに壊れていたかもしれない。いや、壊れていた。

今はもうあの人の幸せを祈るしかない。


そうやってどんどん心の拠り所を無くしていく中、あっという間に私立受験の日がやってきた。
結果は滑り止め全て特進コース合格。この学校は無理なのではと塾の先生言われた学校も見事に合格した。その時は素直に喜んだが、逆にそれが気を緩めるきっかけになった。

本命の公立受験までの残り1ヶ月間。私の個人的な観点で見ればほとんど勉強しなかった。当時流行りのカートゥーン風アニメにハマり、受験前日もアマプラを漁った。親は何も言ってこなかった。きっと大丈夫と私を信頼してのことだったのだと思う。それか、少しでも指摘したら爆発するのではという懸念も持ち合わせていたのかもしれない。

正直私は親と受験会場である第一志望の高校に出向く中、もう無理なのではと薄々勘付いていた。この1ヶ月間、私はドブに捨てたのだ。これまで私が逃げてきた瞬間を彼らはずっと勉強一筋に力を注いでいたと考えれば、容易にその結果が予想できる。


案の定不合格だった。(受験から数日後確認)

第一志望だけでなく、a判定を毎回模試で取っていた学校までも落ちた。

第一志望は挑戦圏だったのは認めるが、当時の私もまさか第二志望まで落ちるとは思っていなかった。完全に「受験」を舐めくさったがために起こった大失策だ。


受験後の帰り、周りの人が何点だとかなんとかほざいている声を確かに耳に入れつつそれを流しながら、こう思った。



ああ、終わったんだ。



終わってしまったんだ。なにもかも。


苦しいこと、勉強だけじゃない。



全てのことから手を離す許可を、今ようやくもらえたんだ。


もう、ヤギとか言われない。落書きされない。嫌なこと言われない。睨まれない。内申点で怯える必要もない。先生をおだてる必要もない。

毎晩不安で泣く必要も、毎朝絶望を抱きながら学校に行く必要も、それを悟られぬよう頑張って親の前で笑わなくていいんだ。


耐えて、耐えて、耐えて、我慢して。やり返さず、投げられる槍をただくらい歯を食いしばる。そうすれば、いつか報われると思っていた。

違うんだ。耐えること、我慢することが努力じゃないんだ。

努力するってのは、最後の最後まで希望を持って何かをやり遂げることなんだ。


ずっと勘違いしていたんだ。嫌なことから耐えただけで救われようだなんて、そんな甘い話あるわけなかった。あわよくば、あいつら落ちればいいのにとさえ思った。敗因はそこだった。

そして気づくと同時に、じゃあ私は努力したのだろうかと思い返す。


答えは否。私は何も頑張っていない。第一志望合格という目標を全く見据えず、毎日の1日1日を耐え抜いていくという「生きる」努力しかしてこなかったんだ。


ああ、本当にごめんなさい。高い金払ってまで塾に行かせてもらってるくせに、真面目に授業受けてなかった。見直しもしてなかった。その時間勉強してれば受かるかもしれなかった時間をドブに捨てただけでなく、私は親がくれた金もドブに捨ててしまった。


私は迎えに来た親に対し、調子はどうだったかときかれ、難しかったとだけ答え、家に帰って枕の下に頭を突っ込んで泣いた。


それからゲームに明け暮れ、あっという間に合否発表の日がやってきた。
流れるように不合格を確認し、

「落ちちゃったわ」

とだけ母に伝えてまたベッドに潜った。お母さんは何も言わずに、少し経ってからあなたは頑張ったと慰められた。こんなクズ野郎に慰めの言葉なんぞ要らんだろうと私はお母さんに出ていってほしいと告げて部屋のドアを閉めた。

ドアノブに手をかけたまま、改めて本当にクズ野郎だなと思った。



③今現在の状況

現在の状況は、もしかしたら最悪に捉えられるかもしれない。

勉強を放棄し、日々「本当の友達」と遊び呆け、一緒にバカ笑いできる人達と昼食を共にし、帰りは英単語の復習もせず友達とかけっこする有様。親友っぽいやつもできたけど、その子に彼氏もできて最近一緒に帰れない。ムキーー!

テストはもちろん赤点。でもみんな私を見下すようなことは言わない。

「やればできるんでしょ!私わかるもん」

そうだよ?わかってるじゃねえか。
テストが終わった後はみんなでサイゼに行く。ある日私は水が足りない子のグラスを手に取り水を持ってくると言って蛇口に向かった。私が張り切ってキンキンの水を提供しようと大量に氷を入れすぎた結果、グラスから氷がピザの斜塔のように突き出してしまい笑いを堪えながらごめんと友達にそれを渡した時は皆笑い転げてくれたなぁ…案の定こぼしたけど。
当時ウケを狙ってしたつもりはなく、ただこの暑い中ぬるい水じゃ嫌だろうと思ったがための故にこんなことになってしまったと謝ると、その子はこう言った。

「全然大丈夫だよ!それに面白かったし」

この言葉は今でも耳に残っている。

「普段あなたはおちゃらけてるけどさ、実は色々考えてたりするんだよね」

「隣に人いないとまじ寂しんだけど!だからズル休みしないで!」

「いいんじゃない?むんちゃんスタイルで。いいと思うよ」


「ほんと、皆に会えてよかった。」


やるべきこともせず、課題からきつねのごとく逃げまどい、挙句はもう引き下がれない所まで。
しかしこれだけは確かな、誰にも違うと言わせない事が、1つある。


私は今、本当に幸せだ。
この逃げ惑う逃避行の日々が、誰かと共にする毎日が、これほどまでに愛しいと感じる。


ーーー生きるための努力をしなくていい。

それは私にとってとても大きなこと。


もう耐えなくていい、我慢しなくていい、
もう嫌なことされてないよ。無理やり下着を脱がされそうになることも、睨まれることも、悪口を言われることも、クラスメイトがみる黒板にびっしり落書きされることも、ヤギと揶揄われることも、ない。

毎日泣かなくてもよくなった。毎日笑ってよくなったんだ。

「我慢しなくていいだと?ざけんな!勉強しろ!!」
わかった。わかるから、そんなこととっくにもうわかってる。
でも、今はちょっと待って。いずれ気づくから。その時までもう少しだけ待ってほしい。

そう言えば、私はここ最近あることにふと気づいた。夢がなくなってる。
中3の頃は脳死で精神科医になりたいと吠えていた。でも今はもうなりたいものがない。ちょっと前までは私は頑張れない人間になったんだと思ってた。
それも間違ってはないと思う。実際今は頑張る、耐えることアレルギーだ。
でもやっぱりもっと大きい理由は夢を目指さなくてもよくなったからだと思っている。
すがる人を次々失ったが故、最後までしがみつく対象を探した結果夢だったのだ。しかしもう何もしがみつかなくていい。夢がなくても生きれるようになった。

さて、私はこれからどう生きようか。
16歳のまだまだ若造、やりたいと思えば現実にできる夢のような時期。青春とは大人も子どもも誰しもが懇願し憧れいつか手にしたいと思いいつか戻りたいと願う。

そんな可能性の塊である16歳の自分を、只今棒に振っている真っ定中である。こうしているうちにどんどん将来が狭まり、最悪まともな大学に行けずブラック企業に就職して社畜ルートがどんどん開拓されていってる。


これから自分はどうなるんだろう、どうなってしまうんだろう。
そうした不安は日々のあふれる幸せの一部でしかない。


私は何になりたいんだろう、何をして生きていきたいんだろう。

この人生という旅路のなか、自分がなぜこんな経験をしてきたのかの意味を探し、それを生かすような夢をみたい。


私たちはこれから、どんな人間になっていくんだろう。

今の私なら、本当の意味で努力できるかもしれない。

後はもうこれだけ。みんな、本当にいつもありがとう。
みんなと別れる時、絶対に言うよ。




「私は今、耐え切れないくらい、我慢できないくらい、


                          幸せだ!!」





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