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友禅染を初めたきっかけ

アメリカに移住して、31年になりました。
日本では、高校、短大と音楽の学校に通っていましたが、短大を卒業後、自分なりに音楽に才能がないと思い、就職は、新聞の求人広告のインテリアデコレーターの未経験でも良いという会社に履歴書を送り、採用され仕事に就くことになりました。
最初は、新築住宅の電気器具とカーテンのコーディネートと営業を主に仕事をしていました。
1年程、働いていた後に、業者の方に建築設計事務所を紹介して頂き、
インテリアコーディネートの会社を退職。
建築設計事務所の仕事は、設計のアシスタントを募集していたので、線を引くことから始まり、独学でインテリアパース図(レンダリング)(平面の図面から立体的な室内、外壁の創造図)を勉強し、図面とレンダリングを担当、図面を描く事とレンダリングの技術を学ばせて頂きました。
事務所では、殆どがビルの図面と外壁のレンダリングでしたので、インテリアの空間が好きだった私は、知り合いにインテリアデザイン事務所を紹介して頂き、再転職をしたのでした。
仕事の内容は、現場監督、設計、レンダリングの作成で、楽しかったのですが、女性はいくら頑張っても、男性と同等には仕事が出来ないのだと現実を見てしまい、アメリカで仕事をしたいと考えたのでした。
25歳で、アメリカにご縁があり、移住を決意。アメリカの土地に足を踏むことになったのでした。
その後は、英語も話せなかった私でしたが、技術を活かし、アメリカ人の建築家の下で、図面とレンダリングの仕事に就く事が出来、語学学校に通いながら言葉を勉強をしていきました。
その後、アメリカ人のパートナーと
結婚。仕事は続けていたのですが、二次の母になり、育児を専念するために仕事を辞める事になったのでした。
ある時、新聞でニューヨークのギャラリーで、日本の染色家の個展がある事を知り、興味をもち、個展に足を運びました。染色の幻想的な作品に魅了され、染色家の下で、学ぶご縁に恵まれ、染色の世界に入ることになったのでした。
海外に住んでいると、自分の国の伝統的な物に、とても興味が湧くのは、やはり
日本人である事に、誇りを持って生きたいと思う気持ちかもしれません。

染色アーチスト 山本喜代子

友禅染を初めて、17年になりますが、
子育てをしながらの学びでしたので、
しっかり描いたのは、7年ぐらいなのかもしれません。
コロナになり、3年程、友禅染を描く事が出来なり、藍染にも興味があったので、友禅染が出来ない期間を利用して、新たに藍染の世界にも手を染めてしまいました。

藍の葉
藍の花

友禅染ては、ろうけつ染、型染めも
学び、型染めでは、自分で型を掘っていたので、生地の上に型を置き、糊を付けて、生地の着いた糊を乾かし、藍で生地を染めます。型で紺色の藍と白の世界を創作しています。

型染めの型を彫る

その後、染めた生地を裁断して、縫製して行きます。

生地を裁断
縫製
生地にブランドの名前を縫い付ける
藍染の作品
型染め鞄

藍染では、鞄やスカーフを創作しています。
何処で、設計をしていた時に、平面図と
立体的な空間を表現する事が好きだった私には、染めの世界は、友禅染が平面で、藍染は、立体的な空間を形に表現していたのだと、気付いたのでした。
私の友禅染の作品は、主に龍をテーマに
した作品を多く、創作しています。

白龍と月
花や葉に色を付けて行く



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