石丸氏と記者の「議会の解散」を巡るやりとりは誰が悪かったのか。
今回は、6月12日に取材不足氏(@shuzaibusoku7)によってXに投稿され、話題となった「市長の誤解」を扱った動画(https://x.com/shuzaibusoku7/status/1800728663970984068?s=46)について、その内容を整理したいと思います。
また、切り抜きの元動画である23年7月の市の記者会見においては、28:25(市長の発言の途中)からが切り抜き動画の範囲となっています。
なお、元の記者会見全体を通じた記者の態度や記者に対する石丸氏の態度についての詳細はあまり重要視せず、あくまでも内容の整理を中心に書くことに留意してください。
ただし、双方の態度について問題があるかどうかという判断をされる場合については、記者会見の全体を見てから判断されることを強くお勧めしておきます。
初めてのnote投稿になりますので、見やすさについては今後努力していきます。
どのような切り抜き動画であったのか
取材不足氏によって投稿された動画においては、その冒頭部分に以下のようなやりとりが見られます。
石丸「こうした次回を打開するために、不信任が提案されたのです」
記者「打開するためだったらですね、自ら議会の解散権を使ってですね、解散すればいいじゃないですか。何故市長の不信任をもって正常化させようと。それが不信任の理由とは思えません。」
ここで取り上げられたのが、「自ら議会の解散権を使って」の主語は誰に当たるのかという部分です。
地方議会において、議会の解散が発生するのは以下の3通りです。
1. 不信任決議を受けての市長による解散(3分の2以上の出席と、その4分の3以上の賛成が必要)
2. 議会による自主解散(4分の3以上の出席と、その5分の4以上の賛成が必要)
3. 市民からのリコール
ニュースでよく見る国会の衆院解散については確かに首相に解散権がありますが、地方議会においては、首長が能動的に議会を解散する方法はありません。
会見においては、石丸氏が「記者は市長が議会の解散権を使えば良いと言った(記者は制度を誤解している)」と主張し、それに対して記者は「そんなことは言っていない。議会が議会の解散権を行使すれば良いと発言した。市長が解散権を使えば良いとは言ってない」といったやりとりが繰り広げられることとなります。
この一連の応酬を見ると、やりとり全体の内容からは記者は別に誤解していないようにも思えますし、切り抜き動画は「誤解した市長が相手を詰めた」という構成で展開されています。
しかし、なぜ市長が誤解するに至ったのでしょうか。
改めて問題の発端となった発言とその背景について詳しく見てみましょう。
記者の発言とその背景について
記者の発言の内容について、その前半を再度見てみましょう。
記者「打開するためであれば、自ら議会の解散権を使って解散すればいいじゃないですか。」
この後半部分にある、議会の解散権を持っているのが市長でなく議会側であることは制度上確かなのですが、一旦そこを忘れて、この発言内容について「単純に文章の構造として」この部分の主語にあたるのは誰なのかを考えてみましょう。
この視点をもって上の発言内容を見ると、文における主語は明らかに「打開しようとしている人」で一貫しています。
主語を省略した文章の読解として、
「(Aさんが)〇〇したいならば、(Bさんが)自ら△△すればいい」
といったように、前後で主語が異なっていると解釈するのはかなり不自然ですよね。本件のように、AさんとBさんが対立関係にあるなら尚更です。
(少なくとも私は「この構造で主語が前後で異なっている文章」を見た覚えがないので、もしあれば教えていただきたいです)
それでは、この「打開しようとした人」は誰なのでしょうか。
誰が「打開」しようとしていたのか
この人物については、切り抜きの前後からでは分からないので、この事例を扱っていた中国新聞の記事(https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/325246)から引用します。(記者会見で争点となっていた記事とはまた別物です)
この不信任決議案を提出した市長に近い議員は、無所属の熊高昌三議員です。
厳密には市長の派閥というより是々非々くらいの立場らしいのですが、今度の市長選においては、石丸氏の市政に対する意志を継ぐような形で出馬されるみたいですね。
さて、引用にある通り、議会の多数派と市長の対立による悪影響を打開するために、反市長派である最大会派の清志会からではなく、市長に近い議員から不信任決議案が提出されました。
そしてその結果、不信任決議案はこの清志会などの反対によって否決されています。
このことからも分かるように、不信任決議案によって事態を打開しようとしたのは市長サイド(やや語弊がありますが、このように表現しておきます)であるのに対し、清志会は議会の解散を望まず否決したという構造となっています。
要するに、議会全体としては事態の打開に消極的であるということです。
記者が発言した「自ら議会の解散権を使う」のは誰と考えるべきなのか。
ここで改めて、このnoteの冒頭にも記載した石丸氏と記者のやりとりを見てみましょう。
石丸「こうした次回を打開するために、不信任が提案されたのです」
記者「打開するためだったらですね、自ら議会の解散権を使ってですね、解散すればいいじゃないですか。何故市長の不信任をもって正常化させようと。それが不信任の理由とは思えません。」
先ほどの引用とそれに関連した記述より、不信任決議による解散と選挙によって市民に信を問うことで、事態を打開しようと試みたのは市長サイドの行動であることが明らかです。
(正確には市長でなく市長に近い議員が行動を起こした訳ですが、石丸氏は市長の行動を厳しく批判しながらも不信任決議を否決した議会を批判していたため、このように記述しておきます。)
また、最初に書いたように文章の構造として「〇〇するためなら、自ら△△すれば良い」という文においては、前後で主語が変わらないと見るのが一般的だと考えられます。
さらに、議会の解散権に関連して、首相が解散権を持つ衆院の解散については以下のように記述されることが多いです。
以上より、
・議会の解散によって選挙を行い事態を打開しようと試みたのは市長側
・不信任決議案は否決されており、議会は解散(すなわち「打開」)に消極的
・文構造として、この表現の場合は前後で主語は変わらないのが一般的
・首相が解散権を持つ国会の衆議院では、国民の信を問うために解散されることが多い
の4つを以て判断した場合、
記者の「打開するためであれば、自ら議会の解散権を使って解散すればいいじゃないですか。」
という発言については、「自ら議会の解散権を使って解散すれば良い」は市長に対して向けられたものと捉えるのが自然です。
また、仮に記者が「自ら…」の部分の主語が議会であると意図していたとしても、議会は不信任決議案を否決して解散を拒否したので、今回の流れにおいて、その議会が自主解散を行う理由など存在しません。
「議会が反対しているから解散出来ない」という問題が根底にある中で、記者が「自ら議会の解散権を使って解散すれば良い」などと発言するのは、仮に議会を主語とした場合、筋違いも良いところです。
よって、このような発言をした理由としては、①議会の解散権について誤解している、②議会の状況を理解していない、③致命的な言い間違いをした、のいずれかしかあり得ません。
結局、どっちが悪いの?
記者は議会の解散権を誤解していたのか
これについては、私は否定的な見方をしています。
理由としては、上記の記者の発言の直後に石丸氏が「市長が議会を解散すれば良いと記者が発言した」と述べた際に、記者が「そうは言っていない。議会に議会の解散権がある」と言った発言を即座に行なったためです。
よって、記者の発言の理由としては、②議会の現状を理解していない、③言い間違いのどちらかであると推測されます。
石丸氏の読解能力に問題があったのか
これに関しても、私の考えはノーです。
理由はこれまでに書いてきたものと同じなのですが、議会の反対によって議会の解散が出来ないという状況において「打開したいのであれば、不信任決議による解散ではなく自ら議会の解散権を使えば良い」などと発言するのは、市長に議会の解散権の使用を提案していると捉えられても何もおかしくありません。
衆議院であれば実際に首相の権限によって解散が可能な訳ですから、国会と地方議会における制度の違いを考慮すると、記者の発言が制度の誤解に基づくものであると考えるのは尤もなことです。
結局、何が起こっていたのか
こんな雑なまとめ方をするのもいかがなものかと思われそうですが、このような応酬に発展した原因として、私は以下のように考えています。
記者の不正確な発言内容がたまたま「記者が誤解していた場合に発言したであろう内容」と一致したため、石丸氏は記者が誤解していると判断したが、実際には記者は誤解しておらず、認識のズレが生じた。
この応酬の中で、石丸氏は記者が誤解していると断定して記者に詰め寄ったこともあり、「記者が誤解をしているという誤解」のせいで応酬が無駄に長引いたという認識をしています。批判する際の口調もかなり強いですし。
ただし、記者の発言内容についても上記のような誤解を与えるのに十分過ぎるほどの要因があり、記者が単なる被害者側であるとも思いません。
記者の発言が理解不足によるものなのか、言い間違いによるものなのかは判断が付きませんでしたが、少なくとも誤解を与えることになった発言が、正確な表現から程遠い内容であったのは事実です。
結局のところ、誤解を与える発言をした記者(発言の内容とその背景から、誤解を生む方がむしろ自然ではないかとも考えられる)に対して、市長が厳しく詰め寄ったというところなので、原因を生んだのは記者、悪い詰め方をしたのは市長というところで、この件に関しては割とどっちもどっちだと思います。
誤解を与えたのは明確に記者側の責任だと思いますが、言った言ってないの問題であのような詰められ方をしたらやっぱり怖いですし、もう少しお手柔らかにお願いしたいと言いますか…
補足:議会の自主解散はどのような時に行われる?
最後に、この会話に登場していた「議会の自主解散」について解説したいと思います。
実はこの「不信任ではなく自主解散すれば良い」の是非もかなり大きい問題なのですが、両者のやり取りにおいて触れられなかったので、このnoteにおいてはあくまでも補足事項としておきます。
まず、議会の自主解散の条件についてですが、このnoteの序盤に書いた通り、首長の不信任決議より条件が厳しくなっています。
なぜ厳しいのかについては詳しくないので、今回は「不信任決議よりも難易度が高い」くらいに考えてもらって大丈夫です。
次に、議会の自主解散がどのような場合に行われているのかについてですが、最近は首長選挙と同日選にするために自主解散を行うケースが多いみたいですね。
不信任決議やリコールとは異なり、選挙日程などの手続き上の問題で議会を解散したい時に用いられているようです。
(参考:東京新聞「地方議会、自主解散の動き 首長選と同日実施で費用削減」https://www.tokyo-np.co.jp/article/113379 )
昔は議員間に犯罪が横行していたために自主解散した事例もあったようですね。
(参考:東京新聞「都議選はなぜ7月?」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/113379 )
また、調査不足なだけかもしれませんが、首長の不信任を理由に議会が自主解散したという事例については見当たりませんでした。
(この後で解説する内容を踏まえると、無くて当たり前だとも思いますが。)
不信任決議による解散と議会による自主解散の違いについて
ここでは、不信任決議による議会の解散と、議会が自主解散した場合について、その後の流れにどのような違いが生じるのかについて軽く解説します。
不信任決議の可決によって解散した場合の流れ
市長が議会を解散する(解散しない場合、自身が辞職して市長選となる)
議会が解散されたことにより、議員の選挙が行われる
解散後初めての議会において再び不信任決議が可決された場合、市長は失職し市長選が行われる(この時、議会を解散するという選択は出来ない)
議会が自主解散した場合の流れ
議会が自主解散する
議会が解散されたことにより、議員の選挙が行われる
(市長の信任とは特に関係がなく、解散後の議会で不信任決議を可決した場合、市長は議会を解散出来る)
以上のような違いとなっているため、制度の特性上、市長の信を問うにあたっては、不信任決議でなく自主解散を選択するメリットは無いに等しいです。解散の条件が厳しい上に、市長の信を問うことに直接繋がらないからですね。
補足のまとめ
以上より、記者会見では触れられませんでしたが、記者の「打開したいのであれば、不信任決議でなく自主解散すれば良い」という主張については、正直なところ、私はイチャモンの域に過ぎないと思っています。
不信任決議案が提出された同日に、市長に対して問責決議案が清志会から提出されて可決された訳ですから、このような状況において、市長の信を問わず、議会のみの信を問う形にする理由がありません。
市長と議会の対立を理由として、市民に信を問うために議会の解散を目指すのであれば、片方ではなく両者の信を問うべきではないでしょうか。
最後に雑な感想にはなりますが、記者としてはむしろ、誤解を生む発言になったことで助かった面もあったんじゃないですかね。
長文になりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
今後、誤字脱字の修正や画像の追加などの修正を行う場合、その履歴についてはその都度記していこうと思います。
現状文字だけになってしまっていますし、やはり少々見にくいですよね。
〈改訂の履歴〉
6/13 20:47 冒頭に目次を追加しました。