能登・珠洲でみたもの~前編~
5月6日。
朝いちばんに、泊めてもらった友人宅を出発し、すずなり館前行きのバスに飛び乗った。
石川に来たのも、これがいちばんの目的だった。
やっと来れた。
随分と時間が経った。
震災が起きてからもう5ヶ月が経っていた。
私にできることなんてあるのだろうか。
そもそも行く意味はあるのだろうか。
ずっとそのことばかり考えて雁字搦めになっていた。
4月28日。仕事を辞めて、その足で石川へやってきた。
とにかく私ができることを。
小松市の滝ヶ原町で営農組合の仕事を手伝いながら、頭の中で考えるは能登へ行くべきか、行かまいか。
石川在住時代にお世話になった方に、うつろふさんという農家さんがいらっしゃる。
震災後の彼の動きはとても速かった。
普段は石川県の白山市で農業を営む。
お知り合いのお店をデザインしたり、ご自身の直売所も自分で作って、お米も野菜も保存食も作る。本当に面白い方。
1月10日には募金活動を始めて、
2月10日には珠洲市三崎町にあるタイニーズファームへ軽トラを運んで支援物資を大量に配っていた。
北崎さんの投稿を見て、驚いた。
珠洲にこんな面白い人がいるのか。
今彼はどんな暮らしをしているのだろう。
珠洲の町はどうなっているのだろう。
やっぱり行ってみたい。
今回も彼に相談することにした。
「能登へ行きたいですが
行く需要があるかを考えてしまいます」
ぐるぐると回る頭で結論を出すことの方が難しかった。
「ひかりちゃんの気持ちの通りのことが起きてて、行く人が少ないのよね。
手伝いしなくてもいいから、行けばいいと思うよ。
とにかくものすごい綺麗。宿もタダだし、バスもタダだし。
バス停からタイニーズファームまで6キロやった。。でも、ヒッチハイクしたら荷台に乗せてくれるやろたぶん。」
こんなふうにポンっと背中を押してくれる。
意味とか、価値とか、成功とか、そんな事を考えすぎて動けなくなるなら、考えすぎずにやってみればいい。
『フローが大事なんだよ、フローが。わかるか?流れるがままに、流されて流されて、行き着いたところがお前の本当の居場所だよ』
いつかお世話になった人から言われた、ある一言をふと思い出した。
そうか。風に押されて、流され、動いていいんだ。
はじめの第一歩を踏み出せ。
行って、見てみないと、ほんとうに必要なものも、本当に必要とされてるかどうかも、わからない。
その後もギリギリまで悩んで。
直前の5月5日、やっとうつろふさんに
「明日タイニーズファーム行きます、大野さんに連絡しておいて下さい。」と一報を入れた。(めちゃくちゃ人使い荒い)
能登を見ること。を目的に石川に来たのに、自分の中でごちゃごちゃと話す声のせいで諦めるわけにはいかなかった。
行くまでに、沢山の人が手伝ってくれた。
車がないと生きていけないから、友達たちが滝ヶ原町から道の駅まで車で送ってくれた。
出発前には、最後に会いに来てくれた方々もいて。本当に有難い。
道の駅からは泊めてくれる予定の友人が拾ってくれて、金沢まで連れて行ってくれた。
次の日も早朝から早起きして朝食を用意してくれて、バス停まで送ってくれた。
本当に沢山の人に支えられて、愛されている。
有難う。
バスはのと里山海道を走り,ぐんぐん北上する。やがて志賀町・穴水町を経て、いつの間にか入り組んだ海岸を右手にくねくねと町中を走っていた。
ぽつぽつと、青いビニールシートが目に入るようになった。
瓦が割れた部分を覆っている。
あぁ、これ、ニュースで見ていた光景だ。
なんとなく、その青いビニールシートが能登に入ったサインのように感じてしまって、
能登=被災した町と認識している自分に気がついた。
バスはいつのまにか珠洲鵜飼を通り過ぎて、終着駅までもうすぐになった。
目的地に到着した。
はじめての珠洲上陸。
こんな形になるとは3年前の私は全く思わなかった。
珠洲の海の見える家に住む友人のところへ、いつか遊びに行くことを約束した日から
一度も来れていなかった。
降りたバス停の名前は、すずなり館前。
道の駅のような、物産店のような建物が目の前にある。シャッターは閉まっていた。
数人の女性がカゴを持って店の前に設置されたベンチで何かを待っている。
お店が開くのを待っているのかな?
町にはここしかお店が無いのかしら。
そんな事を思いながら、彼らを横目に自販機でペットボトルの水を買った。
とにかく早くタイニーズファームへ行きたかった。
何しろここから6キロだ。
歩いて行くか,ヒッチハイクをするか。
どちらにせよ、前に進まねば。
地図を見ながら大体の見当をつけて、町に向かって歩き始めた。
能登・珠洲でみたもの ~中編~ に続く。
ありがとうございます:)
陽