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能登・珠洲でみたもの~後編~

中編はこちら


すずなり館の入り口をくぐると、中は意外にも活気付いていた。
ソフトクリームを頼むお客さんが絶えないし、「この筍もろていっていいか?」と大きな声で店員さんに呼びかけるおばあちゃんもいる。

この人たちは一体どこから来てるんだろう。
ぼんやり思いながら、お店の中を一周した。

丁度レジでソフトクリームを買っている人がいて、後ろに並んだ。
レジはふたつあって、おじさんと元気なお姉さんがそれぞれの台の前に立っている。
聞くならお姉さんだなと見当をつけて、お姉さんが立っている台の前に並んだ。しかしどうやらお姉さんの仕事はソフトクリームを作って渡す係らしい。前の人がソフトクリームを受け取った後、私を見て戸惑ったような顔を一瞬見せたので、あっすいません、と言っておじさんのレジの前に並び直した。

ソフトクリームが搾り出されるのを待って、お姉さんに対して口を開いた。
「すいません、つかぬことをお伺いするんですけど…」

丁度お姉さんはソフトクリームを手渡そうとしてくれていたところだった。

「この辺から三崎町の方へ行くバスって、ありますか?」

「バス、バス、三崎行きですか。」
ぱっと明るい顔をみせて、ハキハキと話す彼女に、元気をもらう。
「後ろの方に掲示板があるので、そこで確認できるかと!そこのバス停から出てると思います!」

「わかりました。ありがとうございます😊」

バスに乗る気はなかったが、こうして地元の人とコミュニケーションをとれることが嬉しい。
何より、店内を活気づかせようと明るく元気に接客をする彼女の姿に、微笑ましさとじんわりとした感動を覚えた。

キャラメルソースがたっぷりかかったソフトクリームを受け取って、掲示板を確認しに行った。

「三崎行き…」
掲示板にA3の用紙が何枚も貼られていて、出発時刻や行き先が入り混じって書かれていた。

どうやら12時15分に次の三崎行きのバスが出発するようだ。
はめている時計を確認したら、時間までちょうど20分だった。

すずなり館を出て、溶けかかったソフトクリームを慌ててほおばる。

キャラメルソフト

キャラメルソースが冷えたソフトクリームでパリパリに固まっていて
ソフトクリームの柔らかさと相まって絶妙にいい食感になっている。

おいしいけれど、寒いことには変わりない。
この寒い中、買う人が絶えない理由。
能登のためにお金を落としたい。
その一心だと思う。

よし。腹ごしらえも終えて、自己満足の貢献活動もできた。
気合も十分。歩こう。

廃駅となったかつての珠洲駅のホーム 走り回る子どもたち

道に出るために、炊き出しを行っていた広いスペースを突っ切る必要があった。
2.30人ほどだった行列が今は10人程度に収まっていた。

無邪気に走り回る子どもたちの笑い声と、それを笑って見守るお母さんたちがいる。

駅の後ろに崩れた瓦礫がそのままになっていて、悲壮感を漂わせているようにも見える。子どもたちは何にも気にせずに、はしゃいでいる。

彼らに過去はなく、今しかなかった。今を楽しんでいた。

その様子を目に焼き付けて、私はそっと駅前を離れた。


再度地図を確認しながら、方角の見当をつけて歩き出す。
近くに田んぼがあった。
あぜ道に老夫婦がふたり、耕運機を休ませながらこっちを見ていた。
ペコリ。
ペコリ、ペコリ。

そのまま田んぼ沿いの道を歩くと大通りに当たり、右に曲がって通りをまっすぐ行くことになった。

そろそろ車通りも多くなってきたし、ヒッチハイクしてみるか。
5年ぶりのヒッチハイクに、ちょっとそわそわしながら手を挙げてみる。

かわいかったヒッチハイクのフリー画像

ヒッチハイクというのは、100件声をかけて1件答えてくれるかどうかといったところだ。
確実に乗せてもらうには技術が必要で、はっきりとした近めの目的地(地名やSA名など)を書いたボードを掲げたり、できることならひとりひとり声をかけるほうが確率があがる。

今日の私はゼロ装備。
乗せてもらってももらわなくても、どっちでもいいかという半端さが伝わるのか、誰も止まってはくれない。

ある程度の必死さがなければ、難しいのかもしれない。

歩きながら後ろを振り向いて、向かってくる車に親指をあげる。
車は通り過ぎて行くから、あきらめて手をおろして、また次の車が走ってくる音が聞こえて後ろを振り向いて親指をあげる。これの繰り返しだ。

歩道のない道路を歩いていることもあってか、私を大きくよけて走っていく車ばかりで、そのうちに手を挙げることもやめた。

きっと歩きたい気分なんだよ私も。

車の音を聞くために外していたヘッドホンを耳に当てなおして、歩くことに集中する。

野々江町から熊谷町(くまんたにまち)に差し掛かったところで、住民の方がひとり外で携帯電話を触っているのが見えた。

歩いた道筋

7.80代くらいだろうか。小柄な女性で大きな麦わら帽子をかぶっていた。

声をかけたかったが、一度通り過ぎてしばらく思い悩んでから、ゆっくりと近づいた。

「あのう、すいません。」
「はい、なんでしょう」

「ここから三崎のほうに行きたいんですが。」
「三崎だと、まだもっとまっすぐだね~、しょういんよりもまだもっと向こうだから、かなり先になるよ。三崎は三崎でも、どのへん?海側?」
「いや、海のほうではなくて、まだこっち側なんですけど、、ちょっと待ってください。えっと、ほそや?という地名らしいです。」
Google mapを開いてタイニーズファームの住所を確認する。

「細屋だと、また山のほうにあがらんないけんと思う。ここからまっすぐに行って途中で三叉路にでるので、そこを左に曲がって上のほうに上っていけば行けると思うよ」

タイニーズファームはこの道沿いにまっすぐ行ったところなので、
左に曲がって山を登る必要がないのはわかっていたが、話しかける口実に道を聞いただけなので素直に感謝する。

「ありがとうございます。行ってみます。」
もう一歩切り込んで話をしたかった。
周囲を見渡して慎重に話題をチョイスする。

「ところで、今何されてたんですか?ここに住まれてるんですか?」
「ううん、ここには住んでなくて、今は仮設住宅に住んでるのよ。
 それでたまにこっちに来て片付けをしてるのよ。」
「あ。そうなんですね!何か手伝えることはありますか?」
「いやいや、もう終わったところなのよ~。ありがとうねえ、大丈夫よ。今は携帯の使い方がわからなくて、ここで右往左往してたところ。(笑)」
「あ、何か手伝いましょうか?携帯、私にわかることがあれば。」
「いいのよう大丈夫よ、ありがとう~」

「いえいえ、すいませんなんか。。
 えっと、このあたりの方でまだ家に住まわれている方っていらっしゃるんですか?」
「一件だけあそこが住んでると思う。あとはみんな仮設に入ってるよ」

「そうなんですね~。そしておかあさんはここで片づけを。。」

自分の押しつけがましさに少し恥ずかしくなって、その場を去ることにした。
「帰りも気を付けてください:)話しかけてよかったです。行ってきます。ありがとうございます。」

ほんの数分だったが、話せてよかった。
少しの恥ずかしさはありつつ、話しかけたことに後悔はなかった。すがすがしい気持ちで一歩を踏み出す。

またヘッドホンを当てて前を向いて歩き出した。

しばらく歩きながら、山と田んぼののどかな風景に癒される。
田植えをしている人もちらちら見かけた。

道路の脇を歩きながら、正院町白鳥の里と大きな字で描かれた絵をながめる。白鳥がくっきり浮かび上がっていて綺麗だな。。

Google mapのストリートビューより引用

ぼんやり考えながら正院という文字をリフレインする。
あれ。さっきのお母さんが言ってたしょういんってこの正院のことだよな。
なんっか聞いたことある。

急に閃いて、インスタグラムを開いた。

珠洲に住んでいた友人の地名が正院だったような気がした。
海の見える家だから、もっと珠洲の端まで行かなきゃいけないと思ってたけど、
もしかして私彼女の住んでた場所に今行けるかもしれない。

あった。投稿を見つけた。正院は彼女の住む地域だった。

まっすぐタイニーズファームに行く選択肢を取り消して、交差点まで戻り、左折した。
畑を耕しているおじいさんがいた。年明けにひどい地震が起こってから、彼女の投稿で何度も見ていた町がここにある。ここをずっと見たかった。なんでかわからないけれど、私にとって珠洲のイメージはこの町だった。

海の目の前にある家だということだけはわかっていたから、まっすぐ海のほうまで降りて行った。

さっきよりもじっくりと立ち並ぶ家を見ながら歩く。

つぶれてしまった家

これは本当に家だったものだろうか。
ただの瓦礫ではないか。

塀に乗り上げた立派な瓦屋根
お構いなしに咲き乱れる藤の花

人間の都合などお構いなしに咲き乱れる藤の花をみて、不謹慎ながらも美しいと感じた。

つぶされてしまった車


こんなことをいうのは気が引けるが、
町を歩きながら、憐みの気持ちや申し訳なさなどはほとんど感じなかった。
人によってはショックを受けて泣き出してしまう人もいると聞いて来た。

私の中から込みあがってきたのは、
「人間の作ったものはいとも簡単に壊れてしまう。結局は自然の力を超越することはできないんだよね。」
というどこか達観した考えだった。

間違えないでほしい、決してサイコパスではない。
これでも感受性は強いほうだ。

そのまま南下し続けると、波の音が聞こえてきた。
今日は風が強い。

この家を越えたら海だ。
道の突き当りに大きな家が建っていた。
はがれかかった瓦とブルーシートで覆われた玄関扉がもの悲しさを漂わせている。
ポストに書かれた名前を確認して、友人の家だと確信した。

家の裏に回って、いつも彼女の投稿で見ていたお庭と海の様子を見る。

目の前には番号の降られたバカでかい黒い袋が海岸一列に並べられていた。

国は防潮堤をここに建設する予定らしい。
好きだった庭からの景色が楽しめなくなることを友人は嘆いていた。

 

自然を制圧することはできないけど
命を守ることも大切。
国民の意見を守ることは軽視されてる。
何のためにこれ作ってるんだろう。
戻ってくるかもわからない国民のためにこれ作るのかあ。

頭の中でぐるぐると答えのない問いかけを続けてしまって、ちょっぴりしんどくなってその場を離れた。

見たいものはもう十分に見た。
そのあとはまっすぐタイニーズファームまで歩いて行った。


正院をでて40分
歩き続けて、見つけた。
緑のオアシスに軽トラックが2台。
ヤギの鳴き声が聞こえて、道路から一歩踏み込んでファームに入った。

歩きながら私は珠洲にいることを忘れていた。
歌を歌っているうちにオアシスに到着した。

私が出会った人は皆、今を生きていた。




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