2024年4月28-5月3日石川滞在記 1
カラカラ
玄関の引き戸を引いて
背負っていた荷物を上がりに下ろす。
「ただいま〜」
誰もいない部屋に向かって声を上げた。
家主たちは趣味のロッククライミングにでかけていた。
誰もいないとわかっていたが、声を出してしまうのはこの家に対する愛着や礼儀からだろうか。
引き戸の閉め方がわからなくて、玄関先でちょっぴりてこずった。
地面に置いたままの靴がひとつもなかったので、脱いだスニーカーを靴箱にしまうことにした。
ここでいいのかな。とりあえず空いてる所に入れたけれど、家主なりの規則があるかもしれない。一秒だけ悩んで、なんでもいっか。と顔を上げた。
靴箱の上には大きな花瓶が置かれており、繊細な細かいピンクのお花と、調和のとれた石の置物が風情を感じさせる。
アナらしいなぁ。
和の家に、洋風にも感じられる飾りに個性が溢れていて愛おしくなる。
たった玄関に入って数分で彼女らしさを感じていることにも、クスッと笑みがこぼれた。
彼女は、3年前私がここ石川県小松市滝ヶ原町で共に暮らしたシェアメイトだった。
自立していて、人と一緒に動くことが大好きで、ユーモアがあふれる素敵な女性だ。背が高くて、185センチもあって美しい水色の目を持っている。
辛いときにはそっとしてくれたり、一緒に考えてくれたり、時には厳しいことも言ってくれる。
常に前を向いていてどうすればいろんな物事がうまくいくかを考えている、この世界になくてはならない存在だ。
滝ヶ原町は美しい町だ。
鞍掛山のふもとにたたずむ、気の流れが綺麗な聖域のような場所。
アナだけでなく、東京やイギリス、様々な場所から来た若い移住者が、この美しい滝ヶ原町に惹かれ、この町を守りたくて活動している。
今日泊まる、通称アシハと呼ばれるシェアハウスには、私が滝ケ原に住んでいた当時、5,6人の若者たちが集って住んでいた。
現在はデンマークの女の子アナと、イギリス人の男の子グラハムの二人暮らし。
二人は仲良しで、いろんな山岳を登ったり、海へ行って飛び込んだりする。スリルが大好きな二人だ。今日も二人はボルダリングに出かけていた。
今回私は5月のゴールデンウイーク期間に行われる田植え活動に参加する目的で訪問した。
町には営農組合を営むおじいちゃんたちのグループがあり、ここに住んでいた時から彼らの環境整備活動や田んぼ活動を手伝うことにやりがいを感じていた。
理由は、彼らが好きだったからだ。
アナたちは快く私の宿泊を承諾してくれた。
玄関を上がって、行き先に悩む。
トランクもあるし、とにかく一旦奥のマイロの部屋に荷物を運ぶことにした。
畳を踏む靴下の裏に引っ付いてくるものたち。
埃っぽい匂いが微かに香る。
私がくるとわかっていたからなのか、電気を点けたままにしてくれていた。
それがそうだとしてもそうでなかったとしても、welcoming (歓迎) してくれているようで、とても嬉しかった。
もちろん、玄関の扉の鍵はかけていない。
ここでは誰も人の家に盗みに入る人なんていない。
埃っぽさに懐かしさを感じて、帰ってきた感覚に包まれる。
かつてマイロが使っていた奥の部屋は、記憶とはほど遠い、廃屋のような部屋になっていた。
マイロか、ともやの部屋を使っていいよと言ってくれていたので、マイロの部屋にしようと決めていたが印象と違った見た目に戸惑う。
当時は彼のセンスとコレクションが詰まった洒落たお部屋だった。
私が寝るはずのマットレスにカメムシが落ちているのを発見し、
床に置いたトランクを拾い上げた。
ともやの部屋に荷物を運びなおし、小さなソファとセンターテーブルの横に荷物を落ち着けた。
この部屋にも落ちている畳の上のカメムシたちをどうしたものかと、部屋に置かれていた掃除機をそのまま使わせてもらって掃除をすることにした。
あらかたカメムシと、靴下の裏にあれこれと引っ付いてくるやつらを退治し終えて、ようやく一息ついた。
埃だとか、ゴミだとか、自分の家だと気にならないのに人の家だと気になるのは不思議な心理だよなといつも思う。家では掃除機をかけるのが大の苦手なのに。
布団をどこに敷こうかレイアウトを想像しながら、家の中を散策する。
アシハに来るのは初めてではなかった。
アナとシェアハウスをしていた時は別の家に住んでいたが、何度かみんなと夕食を食べたり、小さなパーティーに参加したり、少なからずの愛着は持ち合わせていた。
ともやの部屋は居間のド真ん前にある。
玄関入ってすぐの居間で点灯していた照明が、いつもよりも美しく着飾られていることに気づいて、そのセンスの良さにしびれる。
広々とした居間を横断してキッチンに入る。
この家の電気の使い方がわからないから、iPhoneのライトで照らしながら部屋を物色した。
台にはアナが取ってきたであろう山菜たちが、処理されたのか、される前か。そのままにされ、出ていかれていた。
アナらしいなあ~。
みんなでゆずをとっていたのが懐かしい。新しく買ったのか、初めて見る浄水ポットが目に新しい。
電気のスイッチを発見して、iPhoneのライトは役目を終えた。
電気をつけると、まず満杯の調味料棚が目に入って、本日三回目のアナらしいなあが口をついて出た。
反対側には食器棚があってその上に置かれた漬物類がまた笑いを誘う。
デンマーク出身のアナは、世界の様々な場所を訪れ、最終的に日本の食文化に惚れ込み、日本に住んでもう6年目になる。
発酵ものを作ったり、野里に生えている野草を取って食べたり、地元の料理人や町の人々との交流をとても大切にしている。
日本人でも気づかない新しい発見や挑戦をいつも楽しんでいて、彼女の自然・人・コミュニティに対するプラトニックな愛はみんなを笑顔にする。
彼女のやりたいことは食育。食文化の学び。それは内に対しても外に対しても。
彼女自身が学びになることと、それ以上に世界中のシェフや、地元の地域の人にとって学びを提供できることを望んでいる。
ワクワクするような学びの場を作り、彼女自身と、彼女が関わる全ての人にとって素晴らしい時間と成長をもたらすこと。それが彼女のしあわせであり生き甲斐だと彼女の芯のぶれることのない生き方が物語る。
アナとマイロとグラハムが運営している(株)ishinokoの取り組みの一環
ishinoko kitchen
アナがずっと大切にしているコミュニティディナーという学びの場。
デンマークでのコミュニティディナーの経験から、ここ滝ケ原でも企画、継続して提供している。
アナとグラハムが帰ってくる前にシャワーを浴びておこうと思い、キッチンの隣にある脱衣所に向かうところで、冷蔵庫に貼られてあった紙に書かれた自分の文字に気づいた。
「マイロ・グラちゃん アシハ泊めてくれてありがとう お土産よかったら食べてね。 陽☀」
貼ってくれてたんだ。
嬉しくなって、元気いっぱいになった。
誰もいない部屋で寂しさをちょっぴり感じていたけど、このちっちゃなことで愛が伝わってほっこりする。
初めて使ったシャワーは意外と快適だった。湯圧が強くて気に入った。
気持ちよくなって急に眠気を感じる。
時刻は21時半だった。
携帯電話にアナからの音声メッセージが入っていた。
"Hikari~ We'll be home in 20 minutes ;)"
わくわくわく...!早くアナに会いたい!!
”I’ll be waiting like a dog! わんわん!”
と返して
本当に犬のように玄関と部屋を行ったり来たりそわそわしながら彼らの帰りを待った。
ズズズズズズ、、
重低音が響いて、グラハムの車が戻ってきたことを知る。
きゃーー!
アナとグラハムが帰ってきた。
玄関前でキョロキョロくるくるそわそわ。車が完全に停止してから、降りるまでの一分一分が待ち遠しい。犬ってこういうときこんな気持ちなんだ。
嬉しくてくるくる回っちゃうね。
ざっざ、、
カラカラ、、
2週間以上前のことだけど、書きながらこの瞬間の喜びを今すぐに顔で表現できる。
そのぐらい嬉しすぎて、踊ってたか何か変なオーラがでてたんだろう。
アナは、開けた引き戸の隙間から私を目視で確認し
「なんかいる(笑)」と言って扉を閉めた。
見なかったことにされた。
うえええ
いじられたことでさえもうれしい。
アナとはほぼ2年ぶりの再会だった。
そのあとすぐに笑いながら入って来てくれて、欲しかったハグを、2年分のハグをくれた。
グラハムもすぐに入ってきて、ハグをくれた。
嬉しい。グラちゃんとのハグも大好き。強めでLOVEが届くハグ。
そのハグを存分に味わっていたら、
後ろから見えるはずのない人が見えて、顎が外れそうになった。
「え?マイロ?」
なんでいるの?そしてなんでふつうにナチュラルに入ってきているの?
頭がついていけなくて、え?なんで?しか言えなくなってた。
みんなは大爆笑。
サプライズ大成功だね。
マイロは今は東京に住んでいて、滝ケ原にいるはずのない人だったから、本当に幻覚かとおもってびっくりした。
先日のアナの誕生日をお祝いするために滝ケ原に来ていたみたい。
おこぼれをもらっただけだけど、会えたことが本当にうれしい。
離れていても、愛する気持ちは必ずまた人を繋げる。
その夜はアナに話したかった話を洪水のように溢れさせて、とめどなく話し続けてしまった。
アナの前では末っ子全開になってしまう。そんな友人が存在することが尊くてありがたい。
幸せいっぱいな夜で、石川に来てよかったと
ほっこり思える一日になった。
石川初日のお話。
次は田植えの日の話。
今日もありがとうございます♡
陽