考えることの意味:私の視点からの深堀り
おはようございます。茶渋です!
本日の記事は、自分の頭で考えるということについての記事を書いていこうと思います
正直、考えるのってめんどくさい
自分は書類作業などで考えることとか興味ないことを考えることが嫌というか苦痛に感じるタイプです
そもそもなんでこんなに考えることがめんどくさいとか嫌なんだろうななんて思います
学生時代のことを考えると、勉強は取り敢えず時間を投入すればある程度点数は取れるし自分で考えるような授業は少なかった記憶があります
つまり自分は学生の時はあんまり自分の頭を使って考えることが少なかったわけです
しかし、社会人になって思うことはめちゃくちゃ自分の頭を使うじゃんということでした
いきなり、相手の命令の意図とか問題解決の方法を今まで使ってなかった頭で考えることを求められて毎日頭が痛いです😓
じゃあ何で俺って物事を考えるんだろう?
仕事でうまくやるため?
お金をもらうため
みんなに優秀て言って欲しいから?
他にも色々なことが頭に浮かびますがどれも何だかしっくりこない感覚があったのでもう少し抽象化して考えてみることにします
結論:幸せになるため
自分がしっくりくるまで抽象化したところ以上の結論が出ました
なので自分は幸せになるために自分の頭を使うということが正しい思っています。
以上この記事終わり!
となればいいですが抽象的すぎてちょっと待てと言いたくなりますよね
でも今回の結論は幸せになるために自分の頭を使って考える事です
それを確定して考えると、もしかして自分が嫌なタイプの考える(書類作業、事務作業)なんかは自分の幸せに繋がっていないもしくはうまく自分の幸せに繋げようとしてないことになります
さらに、自分の頭を使って考えることって幸せになることで上記で挙げた(富、名声、力)て必要なんだっけ?
それをもっと具体化して、確固たるものにしたら人生勝ったも同然なんじゃないか?
ということで今マジで幸せだなぁと思うことについて書きます
散歩して綺麗な夕日をみること
大学時代の友達と白面で話すこと(お酒飲めない)
たまにステーキを食べること
自分が上手いと思える絵を描けた時
好きなだけ寝れた時
これだけ並べるともう幸せに生きていけそうです
じゃあこの話からすると今幸せなら考える必要とかないのか?
という思考になりました
結論は違くて、もっと幸せになるために頭を使って新しいことを始めるのがいいのではないかと思うようになりました
なので結局これからも自分の頭を使って考える事を辞めません、幸せのために
ここで変わった事は圧倒的に前向きな思考になった事です
基本が幸せでプラスで考えることと、基本が足りないと思ってプラスで考えることは同じ考えるでも180度違う思います
後半から何言ってるのかわからなくなったのでまとめに書きます
まとめ
自分が頭を使う目的は幸せになりたいから
今自分は結構幸せ、だけどもっと考えて幸せになりたい
自分の幸せを認めて、思考するとプラス思考になる
以上、自分の「考える」ということを考えるという記事でした
ここまで読んで頂きありがとうございます😊
余談
韓国に旅行に来た
街は汚いが飯は美味い
良い意味で気を使わないので、いつもより喋ったり明るくなる
もっと飯食べて帰ろう