自閉症スペクトラムと知的障害~発達検査~
怪しい…と思ってかなりの年月が経った様に感じたが、1年生は怒涛の様に過ぎ去った。
年度が変わったので息子も学童保育を民間に変えて金額も上がったし、迎えも必要となり苦しくも慌ただしい日々となった。が、子供達と歩く帰り道は新鮮で会話も弾んだ。
今日あったこと、将来のこと、私の仕事のこと…
そして通学路にある神社に3人で手を合わし
「今日も1日ありがとうございました」とお礼を言う。ルーティンってやつだ。
帰宅後…
·私はバタバタとご飯を作る。
·娘は洗濯物を入れたたむ。
·息子はお風呂を洗い入れる。
·翌日の準備
小学2、3年生にしては
素晴らしいチームワークだ。
家事効率も上がり子供達は毎日8時半から
翌朝6時半までぐっすりと眠った。
睡眠は心を穏やかにすると同時に
親の私へひとり時間のプレゼントとなる。
診断を受けようが受けまいが
少しでも楽しく生きる術を見出だそう。
私生活で不便さを感じて生きている娘だけではなく、いつも支えになってくれる息子も勿論私も…
「毎日を少しでもおもろく生きよう」
「センスある生き方をしよう」
家族3人が少しずつ意識して生きる様になった。
-娘2年生5月-
やっとこの日が来た。
学校をお休みし、発達検査を受けた。
「お母さんも後ろで見守ってあげてください」そぅ言われたので見守ることにした。
先生:お名前言える?
娘 :はい。
先生:教えてくれるかなぁ?
娘:○○(名のみ答える)
先生:あっ。上の名前も一緒に言える❔
娘: ···。何それ。
そんな始まり方をした。
「上の名前」と言う名字を指す言葉は娘には難しかったのだ。
フルネームを書くのに縦の欄でも横にして書く事しかできなかった娘にとって
「上の名前」より「左の名前」だった様子だ。
こんな時はどぅする❔など日常のこと。
パズルみたいなこと。
計算のこと。モラルのこと。
色んな項目を何時間かかけて行った。
その中で当たり前に知っている様なことを
知らないことが多い娘に、丁寧に説明してきていない事を懺悔した。
そして何より
「私も今の時代なら発達障害だな」と思った。
発達障害(だと思っている)の娘は真面目だと思う。
検査結果は数週間後なので検査が終わると
「今日学校やってる日❔私行きたい。」と言うので学校に遅刻と言うことで連れていった。
私は久しぶりに娘とふたり、ランチをしてお茶してお買い物行って🎵と思っていた。
娘はそんな誘惑にも負けず診断を受けたら変わらせてもらう予定の支援級のお試しへ心踊らせていたのだ。良かった…学校生活に心踊る事があって…
そぅ思いつつ私は1人でランチに行き河原へ心を癒しに向かった。