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晴天の霹靂

バンダナを巻く動作にも慣れ、髪の毛が1センチくらい伸びた頃、東京の幼稚園から連絡がきた。
そろそろ戻ってこないと退園になるそうで、これをきっかけに東京に戻ることとなった。

元の生活に戻ってほどなく、
いつも通り母に迎えられ幼稚園から帰宅し
玄関を開けると、家の中が妙に広々としていた。
父の荷物が綺麗に運び出されていたのだ。
母は承知のことだったのだろう、靴箱の上に置かれた封筒を私に差し出した。

「お父さんから、私子に手紙みたいよ。読んでごらん」

何が起きているかさっぱり分からない私は、夢中で封を破った。

3枚の便箋には、父の字が沢山書かれていた。
まだひらがなしか読めない私のため、精一杯ひらたく表現してくれたおかげで自力で読む事ができた。

手紙には、
お父さんとお母さんは仲良くなくなってしまったので一緒に住むことができなくなり、これからは別々に暮らすということ、
お父さんとお母さんは離婚して家族じゃなくなったけど、私子がお父さんの娘であることはこれからも変わらないということ、会えなくなる訳ではないからどうか悲しまないで。時々になるけどこれからも一緒に遊んだりしようね、

ということが書いてあった。

家族が家族ではなくなるという概念がまだなかったのでよくは分からなかった。
そんな事があり得るなんて知るわけがなかった。

だけどどうやら、私が大きくなるまでずーっと一緒に暮らすと信じ切っていた大好きなお父さんともう一緒には暮らせないらしい。

部屋を見渡して、父のレコードや大量の本、母の嫌いな煙草の灰皿、私がおでこをぶつけて流血したオーディオスピーカーが無いことに気づき、徐々に寂しい気持ちがこみあげてくる。

父の手紙に「悲しまないで」とあったけど、泣いてしまった。だから、会えるから大丈夫、会えるから大丈夫、と心の中で唱えながら声を出さずにしくしく泣いた。
お父さんとお母さんが仲悪くなってたなんて、全然知らなかった。

大量の荷物を運び出したあとの埃っぽい空気を入れ替えるため、母が玄関と窓を開け放った。
強めの風が吹き込んで、玄関の奥に見える空はやけに眩しくて青く、
薄暗くがらんとした部屋とのコントラストが記憶に焼き付いている。
外はこんなにワクワクするお天気なのに、この部屋だけ、玄関の内側だけ悲しくて暗くて別の世界みたい、と思った事を今でも覚えている。
母は何事もなかったかのように明るくいつも通りだった。
も〜、すぐ会えるわよ〜、ほらお手手洗うよ〜、とニコニコしていた。
あの時の母の気持ちは分からないけど、清々した気分だったのかもしれない。私とは正反対の。
そうだとしたら、玄関から覗く綺麗な青空は、母にとっては自分の選択を肯定してくれているような気のする、最高なお天気だったのかもしれない。

たぶん、人生で初めての
"切なさ"と切なさからくる"胸の痛み"を経験した日、の話。

その感情を知るには早すぎたと思う。

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