真鶴の「美の基準」:大切なものを守り、新しいものを生み出す
パターン・ランゲージで有名な事例の一つに、真鶴(神奈川県)の「美の基準」がある。「美の基準」は、建築家のクリストファー・アレグザンダーが提唱したパターン・ランゲージを参考にしながら1994年に作られた「まちづくり条例」で、「真鶴町の住民が昔から受け継いできた『生活が息づくための作法』」(http://machinale.net/manazuru.html)を言語化したものである。私は以前から「美の基準」に書かれている言葉がとても大好きで、是非実際の風景を感じに行ってみたいと思っていたのだが、今回、「美の基準」を長年運用されてきた真鶴町役場の卜部直也さんにお会いする機会をいただくことができ、お邪魔してきた。まちなーれ2019が開催中で大変お忙しいところ、真鶴をご案内くださった卜部さん、本当にどうもありがとうございました。
さて、「美の基準」がどのような経緯で作られることになったのかということについては下記の記事に詳しく記載されている。
真鶴町「美の基準」住民自らの手で勝ち取った、勇敢の証(paddler-shonan.com)
当時の決断と覚悟はどれほどのものだったか、私には想像することすらできないが、今日、真鶴を見て感じたのは、約30年前の苦労が確実に成果を生み出しているのではないかということである。そのことは、「美の基準」があることで景観が維持されているということにとどまらず、「美の基準」があることによって、これまでにはなかった新しいクリエイティブな取組が一気に連鎖的に生まれていることに現れている。
卜部さんから伺った話の中で印象的だったのが、「地域は良いと思っていることを伝えても意味はない。課題を発信していくことが大事」だということ。課題を受け取った人は、それが課題であるからこそ「私が必要とされているのではないか」と思うようになる。「この地域には、美味しい食材がある、海もある、山もある」みたいな話を聞かされても、そのような感情にはならない。実際に、その課題に引き寄せられ、多くの移住者がまちの中で重要な役割を担っている。
このことに代表されるように、真鶴がやろうとしていることは、すべてが「論理的」であるように思われた。
移住者に来てもらいたいとしても、いきなり移住をするのは難しいから、お試しで移住できる場をつくる。
結局は仕事がないと暮らせないから、スタートアップ系のイベントを行い、新たな仕事が生まれやすくする状況をつくる。創業の補助をするにしても、それは後の話。
東京などに比べれば仕事の量も少なく1人分の仕事が作れないので、仕事をシェアしやすい状況を作っていく。
最初にハードを作らない。まずはソフトを作ってから、必要な分だけハードを作っていく。などなど。
地域の政策は論理性だけで決まるものではないが、論理性がなければ普遍的なものにはならない。
具体的な成果を生み出しているように見える真鶴も、美の基準(パターン・ランゲージ)が実際のまちづくりにおいて機能するようになるまでには時間がかかったというが、まちづくりには時間がかかるからこそ、1990年あたりのバブル期に世間に流されることなく将来を見据えた議論をしていた真鶴を尊敬するし、羨ましさすら感じる。
いまは、「人口減少対策だ」「地方創生だ」などと急かされ、これまで以上に視野が短期的になっているように思われるが、難しい状況だからこそ長期的な視点で物事を考える必要がある。1年単位で、移住者が増えたとか、結婚が増えたとか言っても、全く意味はない。
「美の基準」を読んでいると、「自分のまちに対する愛にあふれる批評」だと感じる。まちのことを盲目的に持ち上げるわけでもなく、盲目的に批判するわけでもなく、客観的に直視する。だからこそ、未来へのビジョン(仮説)としての価値を持つのだと思うし、いま必要なのはそのような視点ではないか。
最後に、「美の基準」の中で好きなフレーズを。
もうこれは、オープンガバメントやリーンスタートアップ的な考え方そのものだ。