あいちトリエンナーレ2019
開幕して半月、未だ色々と話題に尽きないあいちトリエンナーレについて、現代芸術そこそこ好きな地元民が雑感を述べようと思います。
足を向けた期間は8/1〜8/7
●円頓時デイリーライブ 8/1
曽我部恵一
本イベントのトリエンナーレのこけら落としともなるフリーライブは、サニーデイの曽我部さん。
結論から言うと、無銭なのに5000円払ったサカナクションより良かったです!
ステージは七夕祭りのど真ん中、商店街の駐車場を改装した趣ある場所にて、ゆるりと出てきた曽我部氏、いきなり「恋におちたら」「あじさい」「キラキラ!」と代表曲を連発。
フェスらしいパンチきいた曲選の後、「満員電車は走る」「セツナ」「シモーヌ」の魂のシャウトで涙してしまった、、
「満員電車は走る」「シモーヌ」なんてこの日はじめて聴いたのに。
結局のところ私がライブを見るのは、音楽が聴きたいからでもその場のみんなで共感したいからでもなく、奏者という一人の人間の「感情」を目の当たりにしたいからなんだ、とこの日にようやく気付いた。
それは音楽でも映画でも読書でも芸術でも旅行でもなにも垣根はない、人の心や自然の美しさを前にして、自分の心が騒めくその瞬間に自分自身が立ち会いたい。
ギター掻き鳴らしてシャウトする彼の姿に、そんなことを思ったのだった。
最後はもちろん「青春狂走曲」でもう一度泣き踊りながら、あいちトリエンナーレは最高の初日を飾った……
かのように見えたのだった。
週明けに名古屋が芸術を巡るゴダゴダに巻き込まれるのはご承知の通り
●名古屋市美術館
8/7に2つの展示を鑑賞しに行ったのだけど、市美は決して広くない展示スペースの中に政治的・性差的メッセージの強い作品を押し込んだ感じ。
大戦当時の台湾を日本語教育で洗脳するというプロパガンダムービー、これウヨは慰安婦や天皇炎上よりこっちに反応するべきではないのか。
市美で一番印象的だった作品はモニカ・メイヤーのジェンダーを巡るワークショップ的作品。
鑑賞者はジェンダー差別を受けた間近の体験を付箋に書き留め、壁に並べていくことで完成していくという参加型アートだ。
匿名により書き留められた付箋からは、未だ日本の至る所に潜む男尊女卑の現実が物語られる。
それをしげしげと眺めていると、隣りには見たことある金髪の大柄の男が……
津田大介じゃん!!!
たまたまこの作品前で収録する現場に鉢合わせた模様。
正直、今回の件に至る前に津田大介には良い印象がまるでなかった、と言うか今回のトリエンナーレの監督に選出されたのもうえーと言う感じで嫌悪感があったので握手とかリアクションも求めなかったのだけど、表現の不自由展が中止されま3,4日後だった8/7時点で、彼の眼は死んでいた。
抑うつ診断された私が言うのもなんだけど、彼のその青白い顔はどう考えてもうつ病のそれだった。
当たり前だ、名古屋のみならず全国のウヨからヘイトというヘイトをTwitter他で浴びせられ、リアルに殺害予告までされる身なのだから、まともな精神状態でいられたはずがない。
て言うかボディーガードとか周りにいなくて平気?フラフラしてたら刺されない??
と思ってしまう程、彼と言う一人の実際の人間を目の前にしたら心配になった。その直前まであれほど嫌っていた私ですらだ。
罵倒やヘイトスピーチが行われるのはその先の互いの顔を知らないSNSだからであって、実際に生きている人間を前にして、同じことが言える人がどれ程いるのか。
だから私はリアルで言えないならSNSでも控えよう、の精神でTwitterを辞めたし、津田大介にも同情的になった。
結果的には味方だったはずの大村も東も連なることになってしまった、「津田イジメ」はちょっと可哀想だよ。。
●愛知県美術館
あいちトリエンナーレ2013は、納屋橋で撤去直前のボーリング場を舞台にした、泡の展示が好きだった。
それに比べると2019の作品はどれも小粒と言うか、空間をフルに使ったダイナミックな展示に欠ける気がする。
いや、これは直前に直島の数々の現代アートの素晴らしさを目にしたからで、あの島の美術館と比べてはいけないのだが…
県美で気に入ったのは、台湾の防空演習中、無人となった街並み一帯をドローン撮影したという、ディストピアな映像が破滅的で美しい『日常演習』、今年のメインビジュアルとなった45体のカラフルなピエロが並んだ『孤独のボギャブラリー』か。
しかし先述したモニカ・メイヤーの作品と、孤独のボギャブラリーの2作品は、例の表現の不自由展の展示中止を巡ってアーティスト側から辞退の申し出が出ていると言う。
正直この2作品がなかったら何も残らなくなるのだが?!関係者にはどうにか踏ん張って欲しい…あいちトリエンナーレ自体の継続も危ぶまれるよ…
●サカナクション
Cornelius的なものを期待して8/7初回のチケットを必死こいて取った。
結果は…まあ彼と比べてしまうのが悪い、劣化Corneliusにしかならない。
暗闇の名の通り、公演中本当に全照明が落ちる演出は確かに他にはない、他にはないが、音楽そのものがその暗闇に完全にマッチしているとは自分には思い難かった。
音楽は若干アンビエント寄りの、サカナクション「らしい」ポップなエレクトロ。
全体を通して決して悪くはなかったが…前評判よりは個性に乏しかったかな。この内容なら蓮沼執太や高木正勝で聴いてみたかったかな。
あと15年したら老成して凄い音楽を奏でる素質は感じたが、彼らもブレイクしてから結構経ってるよね。。
●表現の不自由展について
こちらに関しては完全なる私の感想です。
開催当初から今日まで解決に至らないこの問題について、当初私が津田大介に抱いた思いは
「ここ名古屋でめんどくさい騒ぎを起こしやがって!」
と言う思いにつきた。
その後もなんか色々あったが、リアル津田大介目撃を境に色々と心境は変わっていき、
①天皇炎上の作品の意図は、作品解説を読めばそれが見たままの作品でないことは理解できた。敗戦をキッカケとした日本人のアイデンティティ消失を、神にも等しい天皇を焼失させることでメタモルフォーゼである、というのは分かりやすいぐらいの芸術作品である。その手荒な手法が問題になりやすい点も含めて。
②それはそれとして、津田大介の「2代前なんて歴史上の人物だからw」と言う発言はそりゃ炎上するだろうとしか思えない(七尾旅人も彼の良くも悪くも軽薄な人柄をツイートで仄めかしていたのは笑ったが)
③プロデューサー辞退後の東浩紀のツイートは一見冷静だけど、津田大介を切ったのはヒドいのでは。大村知事も。
④マスコミやメディアが慰安婦像だけ取り上げるのは、天皇炎上の件は面倒くさいし先の件のがキャッチーなだけだよね。
⑤慰安婦問題については現代日本でタブー視されすぎているだけに、これを機に活発な議論が一般層にも巻き起こればいい、これに関しては切り込んだ津田大介グッジョブ、と甘い考えを抱いていたが現実はそんな論争は素通りされてしまった。
⑥何が芸術で何が芸術でないか、という論争すら素通りされてしまいそう。個人的には芸術には政治的主張は薄い方が望ましいが、人が作っている以上、全くフラットな作品など望むことは不可能だし、どんな作品でも公開されるべきであると思う。公的資金を投入するなら尚更。
⑦ただ政治的思想が強すぎる、とりわけ人を不快にさせるような表現は劇薬だし、取り扱う際には十分な注意・体制が必要だろうし、この見通しが甘かったことが、この騒動の成り行きのすべてなんだと思う。津田大介の経緯文を読んだけど、公開を焦るあまり、【SNSへの投稿禁止】の一文だけで被害を防ごうとしたとか本当に杜撰の極みだと思うし(性善説かよ。ピュアかよ。)、彼が文面上で反省している通り、予想できていたはずの暴徒化するウヨへの対策が疎かだったのだろう。
⑧だからスタッフの心労と安全面を第一に考えて展示を中止した決断は正しいと思うし、それを政府からの『検閲』だと断じられ各アーティストから不参加の抗議が上がっているのは本当に悔しいと思うし、やるせない。
どうにか双方の誤解や行き違いを解消し、展示はこのまま継続、表現の不自由展についても、また体制を整えて再展示を目指してもらいたい、というのが素直な感想。
ただ個人的にはまた名古屋が炎上するのは嫌なので、表現の不自由についてはまた違う年違う場所でもいいよ…とは思うが。
⑨「表現の自由」とは守られるべきなのか?という点に関しては、よく論じられる「表現することは自由。批判されることも自由。表現した瞬間に、どんな批判も受け入れる覚悟と責任を持つべきだ」という意見に概ね賛同。
だから芸術の現場監督とは、何があっても作品(の公開)を守る責任が付きまとう訳だね。
それを検閲、もしくは電凸というテロに屈したという形で、津田大介は批判の対象として晒されることとなった。
⑩でもあんまり可哀想じゃないですか。
最初は反日の扇動者としてウヨに叩かれ脅迫され、周囲を守るためにやむなく作品を引っ込めたら今度は芸術監督として無能無責任の烙印を押され「表現の自由」を守る側から非難される。
それがトップの役割だ、と割り切るには明らかにネット上で第3者が己の勝手な正義感を満たすためだけに叩きすぎでしょう。
いや私もこれまで津田大介大嫌いだったしザマーミロとは思ったけどさ。人のふり見て我がふり直せ…とは言うように、昨今のネットイジメは余りにも目に余るものがある、と炎上の現場である愛知にいてようやく気づくことが出来ました。
ウヨもサヨもない、正義漢ぶって承認欲求を満たすためならどこへでも現れるネットイナゴ達。奴らの羽音なんか無視して、津田大介のような本来能力のある人間には今回の騒動を糧にして、芸術でも不自由展でもそれらに無関係でもなんでもいいから、新しい取り組みをしてほしい。
でも多分彼の性質上、何をするにも炎上は付き物なんでしょうけど。天性の炎上マーケティング気質というか。
●あいちトリエンナーレ2019の今後
静かに地元で現代芸術を楽したかっただけなのに、残ったのは津田大介への憐憫という結果にならぬよう、トリエンナーレは10月まで続きます。
特に今回、私が注目し尚且つ嬉しいのは音楽プログラムの多様さで、特に津田大介の盟友である大山卓也(exミュージックマシーン、exナタリー)と愛知が誇る音楽イベンター「森道市場」がタッグを組んだ円頓寺デイリーライブの出演者の錚々たる面子を見ると、森道イベントの常連が並んでいるのが微笑ましく、そして何より楽しみになってきます。
この取り組みに関しては皮肉なくグッジョブ津田大介!です。
平賀さち枝、環ROY、テンテンコ、勝井裕二など気になりつつ、大トリに七尾旅人をブッキングするなど最高にやってくれます。
期間内に不自由展が再展示されるのか、はたまたまた予想外の展開に転がるのか…
全く予想はできませんが、このあいちトリエンナーレがこの先も続き、末永く地元に愛されるイベントとして続くよう祈りますし、津田大介にも踏ん張ってもらいたいところです。
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