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教室は、コーチングの場より「褒める」が難しい
私は「褒める」についてよく知りません。仕事でも日常生活でも、私が何か言うと「褒められた!」と受け止められることが多いのですが、私には褒めたつもりがありません。上手にできたら「上手にできた」、良いと思ったから「良い」など、事実をそのまま伝えているだけ。英語でいうなら commend, praise, compliment などではなく、acknowledge, recognize, appreciate なのです。
それはともかく、この「事実をそのまま伝える」という行為を一般的に「褒める」と呼ぶのだとすると、教室というのは褒めが生まれにくく、褒めそびれが起きやすい場所だなあと感じます。
たとえば先日、課題をちょくちょく忘れる学生が「先週の課題なんですけど、提出済みになってないんすよ」と言ってきました。私は「ああ、メロンのだよね。ちゃんと出てたよ。Classroomってたまにそうなるんだよね」と返しました。彼は「あ、ならよかったです」と言って帰っていきました。
それから3時間ほど経って、私は帰りの電車の中で自分の失敗に気づきました。
珍しく彼が期日に遅れず課題を提出したのに。提出を確認したとき、「お、初の一番乗り!」と思ったのに。そして ”メロン” には彼の個性とオリジナリティが表れていて、とても良い内容だったのに。しかもわざわざ授業後に彼の方から近づいてきて、それに言及してくれたというのに!
完全なる褒めそびれ。ゴール前、絶好のチャンスをもらいながら、シュートを打たずスルーしてしまいました。あああ。
コーチングセッションでは、このようにチャンスをみすみす逃すなんてことは起きません。いや、コーチのときの私は、受講生にチャンスを作ってもらう必要すらありません。セッション中の ”褒めシュート” なら、いつでもどこからでも打てます。というか、なにげなく返したボールが結果的にシュートになっています。だから「褒められた!」「いえいえ、褒めてませんよ」となるのです。
ところが教室の私はしょっちゅう褒めそびれて、帰り道で凹んでいます。いったい何が違うのでしょうか?
まず考えられるのは、集中力です。All ears という表現があるように、コーチングセッションではまさに全身を耳にして聴くことに集中していますが、教室の私はそこまで集中できていません。メロンの例では、授業後のザワザワした雰囲気の中、「See you!」などと声をかけながら教室を出ていく他の学生たちを見送っていました。また、授業を終えたことにホッとして、気が抜けていた部分もありそうです。そんな中、急に一人の学生が近づいてきました。予想外の動きに、私は不意を突かれたのかもしれません。軽めの扁桃体ハイジャックに陥り、とっさの判断に狂いが生じました。
時間による制限もあるでしょう。たとえばペアワークでは、巡回したとき学生が次の発話を考えているタイミングに当たることがあります。もう少し待てば ”褒めシュート” へのチャンスボールが上がるのは確実なのですが、それがわかっていても、待ちきれず次のペアへ移ってしまったりします。教室では褒めチャンスが同時多発するので、拾いきれないという面もあります。
時間に関連して、アジェンダの多さもあります。私はなるべく学生の要望を取り入れたり、様子を見て変えるなどして授業をつくっていますが、それでもたぶん8割ぐらいは事前に用意した内容です。シラバス、教科書、連絡事項、大学の行事など、教室には授業時間内に必ず消化しなくてはならない項目がたくさんあります。
こうしたアジェンダは、学習者に合わせて動くコーチングセッションにはほとんどありません。アドリブ主体に慣れている私は、決まりごとの多い教室に立つと頭がいっぱい。だから帰り道、脳の容量に空きが出た頃にあれこれやらかしたことに気づくのでしょう。
そして、教室というのはネガティブなフィードバックが目立つ場だなとも思います。学生たちには「できたこと、良いところに目を向ける」をルールとして伝え、私自身もそのように努めていますが、それでも教室では遅刻や欠席、体調不良、寝不足、提出忘れ、途中書き、忘れ物、紛失など、しないように気をつけてほしいことが山ほど起きます。ならば本当はそれを上回るほどの褒めをタイムリーにたっぷり与えたいところなのですが、現実は褒めが足りず、ともすると注意だらけになってしまいがちです。
考えてみると、これ、家庭や職場でもよくある話ですよね。緊急性の高い事柄で埋め尽くされた日常には、褒めてる暇などないのかもしれません。褒めを与える側がその必要性を理解していなかったり、過度に照れくさく感じていたりするために、褒めが回避されているケースも想像できます。叱る、脅すことが優勢となると学習は縮こまる方向に強化されやすくなります。「褒めない・褒められない世界はこうやってできているのか」と今さらながら知りました。
こうした気づきを経てコーチングに戻ると、その褒めやすさが一段とありがたく感じられます。褒めポイントを逃さず、ちゃんとシュートが打てて、その後の効果まできっちり追うことができるとは、なんて素敵なことでしょうか。コーチングは、褒め放題。私にとっては自由に息ができるような喜びです。いや、事実をお伝えしているだけで、別に褒めてはいないんですけどね。
Photo by Nathan Dumlao on Unsplash