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ライブとテレビ -SMAPのホーム、SMAPがホーム
氣志團万博2019で稲垣吾郎さん、草彅剛さん、香取慎吾さんのライブパフォーマンスを見たことがきっかけで、彼らの音楽、そしてSMAPの音楽やライブに興味を持ち、探してまで見たり、聞いたりしている人たちがいる。
だからと言うわけではないけれど、ある晩わが家でも、2014年のSMAPコンサートツアー『Mr.S "saikou de saikou no CONCERT TOUR"』を収めたブルーレイを娘と一緒に見始めた。
そして、5人それぞれへのインタビューが収められた特典映像の中で、「SMAPにとってのライブとは?」の質問に答える香取さんを見ながら、こんなツイートをした。
娘が見だしたミスエス特典映像、一緒に見てます。
— ke (@atsumikiy) October 3, 2019
ライブはSMAPの原点で、始まりの場所。ライブがなくてテレビや映画に出させてもらっても、それは本来のSMAPじゃない、と慎吾くん。
じゃ、テレビに出なくてもステージに立っているならSMAPか。
フェスという、多くが彼らのファン以外の不特定多数の観客の前でのライブパフォーマンス。
それを目の当たりにした人たちが口にした「さすがSMAP」「ライブこそ彼らの真髄」というような賛辞に、これまで彼らが、「実力不足」「需要がない」などの根拠のない言い分でテレビから閉め出されてきた悔しさが報われたような、見返したような気分だった。
テレビが無くたって、彼らは何も失っていない。
私のそんな思いが書かせたツイートだったと思う。
その晩、このツイートに一つのリプライをいただいた。
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私は、長い間、茶の間の一視聴者でした。
スマ愛を自覚しないまま、沢山笑わせてもらい、感動し、時に涙しました。あるきっかけより、SMAPに対する想いを「決壊」させ、溢れる想いを止められなくなった人は、私だけでなく数多いると思います。
だからでしょうか。テレビという媒体を捨てきれません。
テレビがSMAPを裏切ったという見方もあるかもしれませんが、テレビはあくまで媒体。
まだテレビが大衆の傍らにある以上、彼らは視聴者のために戻ってくるだろうし、戻って欲しいと願ってしまいます。
(そういう世の中であって欲しいなぁという表現の方が適切かも?)
過去の言葉ですが、慎吾くんは「テレビがないとSMAPもない。テレビの中に僕らは住んでいる」とも言っています。
もちろん、コンサートがSMAPの原点であり「本領」であると思います。
(りんごろさん)
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これを読んで、ハッとした。
確かに香取さんの言葉は、テレビだけでもなく、ライブだけでもなく、ライブとテレビの両方あってこそのSMAP、という意味だろうと思い至ったからだ。
そして、テレビをつければいつだってSMAPを見ることのできた楽しさを、あらためて思い出した。
SMAPの本質、真髄はライブだ
という確信と
それでもテレビで見る彼らを諦められない
という思い。
それはどちらも、SMAPという存在に欠かせないものは何か、ということを表しているのだと思う。
日本中の誰もがSMAPを知っているのに、その内、彼らのコンサート(ライブパフォーマンス)を実際に目にしたことがある人は、その全体数に比べると必ずしも多くはないだろう。
それでは大多数の人たちが知っているSMAPは、彼らの本質や真髄とは呼べないものなのかと言えば、きっとそれも違うだろう。
何かでジャニーズ事務所の前社長である故ジャニー喜多川氏が、ジャニーズタレントにとってのテレビを、あくまでも知名度を上げてコンサートや舞台へ誘導する入口として位置づけているのを見た覚えがある。
おそらくSMAPにとってのテレビでの活動も、スタート時は同じような位置づけだったに違いない。
しかし結果的に、彼らはそれさえ単なる名刺代わりに留めずに、グループとしても個人としても、ドラマ、バラエティ、音楽番組と、各々の領域でそれだけでも勝負できるものを作り上げ、SMAPの名前を磨きあげた。
デビュー当時の彼らにとって、アイドルの主戦場である音楽番組が次々に終わっていたテレビはアウェイだった。
本格的なバラエティーもドラマも、そして、本来であればホームになるはずの音楽番組でさえ、売上面での苦戦が続いた彼らにはアウェイだった。
それがいつしか、テレビの中にはいつも彼らがいるのがあたりまえとなり、彼らに会いたければ、テレビをつければよくなった。
取り立てて彼らに興味がなくても、テレビをつけていれば自ずと彼らを目にする人が日本中にいた。
30年近くに及ぶ年月の中で、テレビは確実に彼らのホームになった。
テレビの中の彼らの活躍は、私たちの人生の長い期間を通して生活の一部となり、面と向かって会わなくても彼らをよく知っていると思えるほどだった。
必ずしも彼らをSMAPだと認識していなくても、どれほど多くの人たちが、テレビの中の彼らを通して、たくさんの笑いも感動も涙も受け取ったことだろう。
彼らは日本屈指のアイドルグループに上り詰めたけれど、テレビの中の自分たちをどう思うかは、視聴者である「お茶の間」の人たち、年齢も性別も生きている環境も興味も価値観も異なる多様な人たちの自由に委ねていたように感じる。
その彼らが、それまではアイドルグループである彼らにとってのもう一つのホームである特別な場所でしか見せていなかった顔を、テレビ、それも生放送を通して届けることにこだわり始めたように見えたのはいつのことだっただろうか。
少なくとも、デビュー記念日に彼らの冠番組であるSMAP×SMAPで生放送したシングル全50曲の「ノンストップライブ」(2013)、5人でMCを務めた「27時間テレビ」最終盤の「27曲ノンストップライブ」(2014)、そして過去のコンサートツアーを彷彿とさせるラインナップで魅せた「CDTVスペシャル!年越しプレミアライブ」でのパフォーマンス(2015)は、テレビ越しでもわかるほど、並々ならぬ覚悟と決意を感じさせるものだった。
テレビでは、どんな時も視聴者の存在を忘れず、誰のことも置いてけぼりにしないように努めてきた彼らが、ファンしか知らないような曲を不特定多数の視聴者が見るテレビでやる意味。
当時は、あれはコアなファンたちへのギフトだと思っていたけれど、今はそうじゃなかったんだな、と思っている。
自分たちをどう思うかは見る人たちの自由に委ねて、決して押し付けてこなかった彼らが、あの時期に限って、自分たちのホームであるテレビでは必ずしも積極的には見せてこなかった、コンサートというもう一つのホームでの自分たちを、できる限りまっすぐに届けることに、強くこだわっているように見えた。
それはまるで、その本質や真髄を一人でも多くの人に記憶しておいてほしいという切なる願いのように。それこそが、やがて来てしまうかもしれない未来に抗う武器だと知っていたかのように。
当然、後からなら何とでも言える。
しかし実際、SMAPと結びついた記憶の扉が、再び彼らの音楽とライブに触れることで開かれたのは事実だ。
氣志團万博やななにーでのライブパフォーマンスや配信曲で3人の音楽やライブに触れて、もちろん純粋に今の3人に魅力を感じる人がいる一方で、スマスマのシングルノンストップや27時間テレビでのライブを思い起こした人もいる。そこに見えたSMAPの本質、真髄にあらためて出会い、さらに彼らを求めている。
それは彼らが無意識にも、未来に託した時限装置だったのかもしれない。
今3人のライブや音楽に触れて、これがSMAPの真髄だと気づいた人の多くは、ずっとテレビでSMAPを見てきた人たちだ。
ライブを見なければ彼らの真髄はわからない、ということでは決してない。
でもライブを見ることで、ドラマやバラエティや音楽番組から受け取ってきた自分たちの中の彼らが、より理解できたということはあると思う。
なぜ彼らがずっとテレビの先頭に立ち続けてこられたのか、どんな気持ち、どんな覚悟で立ち続けてきたのかが、言葉はなくとも伝わった。
そう考えると、いつもは謙虚な彼らがどれだけ自分たちのライブに自信と誇りを持っていたか、そしてそれを生で映し出すテレビと受け取る視聴者に、どれだけの信頼を寄せていたのかがわかるような気がする。
そして実際、かつての視聴者たちが、今、彼らのその信頼に応えはじめている。
さて、テレビはどうだろう。
ほんの少し前まで、テレビは多くの人にとって最大の、そして共通の娯楽だったし、ネット社会の今でも、テレビを楽しみとしている人はいる。
そんなテレビを通して本当に長い間、どんな人たちにも分け隔てなく、垣根を作らずに寄り添ってきたのがSMAPだった。
だとすれば、テレビはSMAPのホームであったと同時に、テレビの中に住み続け、テレビをつければいつだってそこにいてくれたSMAPという存在そのものが、多くの人たちにとってのホームだったのかもしれない。
テレビもライブもSMAPにとって欠かせないものであるにもかかわらず、特に今3人は、その片翼をもがれている状態にいる。
それでもテレビには、2人がいる。SMAPにとっての、このことの意味を強く思う。
いつの日にか5人が、ライブとテレビという両方のホームを取り戻すのを待っているのはファンだけではない。
今もテレビの前にいる多くの人たちが、
今はテレビの前から離れてしまった多くの人たちが、
いや、本当はテレビそれ自身が、
SMAPというホームを取り戻す時を待っているのではないだろうか。
「まだテレビが大衆の傍らにある以上、彼らは視聴者のために戻ってくるだろうし、戻って欲しいと願ってしまいます。」
りんごろさんのこの言葉は、きっと私も含む多くの人たちにとって真実だ。