「うっかり」の使用制限に関する考察
「ん?ここの数字、前回のファイルから直ってないようだけど。」
後輩のKとは、担当は違うがいくつかの情報ファイルを共有していて、
今日はたまたま数字の直し忘れを見つけたので指摘した。
「ああ、すいません。うっかりしてました。」
この男は「うっかり」という表現をよく使うので、
ここぞとばかりに(日頃の恨みを込めて)、
「君は何でも『うっかり』で済ませるが、
使っていい時とそうでない時があるんだぞ。」
と言ってやった。
しかし思いがけず、
「へぇー。どういう時は使っちゃいけないんですか?」
と無邪気な顔で聞かれてしまい、言葉に詰まった。
実際「うっかり」という言葉の使用が
どういうケースで制限されるのか、私もよく分かっていなかったのだ。
そこで今回は、次にKと話す際に説教ができるよう、
「うっかり」という表現が許されないケースを考えてみたいと思う。
①良い内容の場合には用いてはならない
まず考えられるのは、内容が好ましいケースである。
・うっかり仕事を終わらせてしまった。
・うっかり三千円拾ってしまった。
・うっかり女性にモテてしまった。
・うっかり結婚してしまった。
これらの使い方は、一般的には認められていない。
そしてこれらはいずれも、「良い内容」の場合である。
ゆえに、この推論は正しいように思える。
だが、内容が悪くても使用が許されない場合がある。
・うっかり振り込め詐欺をしてしまった。
・うっかり課長の悪口を広めてしまった。
・うっかり隣の奥さんと不倫してしまった。
これらは悪い内容だが、一般的にはやはり認められない用法である。
こうしてみると、必ずしも良い悪いで制限されているとは言えない。
それに、最初に挙げた4つの例が
本当に「良い内容」かどうかにも疑問が残る。
仕事を終わらせると次の仕事をしなければいけないし、
拾ったお金が元でヤクザと揉めて、三千円で命を落とすかもしれない。
女性にモテると嬉しいが、結末は総じてろくなことにならないし、
3組に1組が離婚する時代に結婚が良いこととは断言できない。
私の友人などは本当に「うっかり結婚してしまった」と言っているのだ。
うっかりご祝儀を出してしまった方の身にもなってほしい。
このように、4つの例文はそれぞれが
「悪い内容」の例文として出されても不思議ではない。
例文に限らず、世の中の出来事のほとんどは、
本当は良いことなのか悪いことなのか、簡単には区別がつかないのだ。
良いかどうかも分からないのに、それを理由にすることには無理がある。
従って、①をもって使用を制限するのは難しい。
②事態が深刻な場合は用いてはならない
次に考えられるのは、深刻さの度合いによる制限である。
「うっかり」というのは普通、軽度の過失の場合に用いられるので、
事態が深刻な場合には用いてはならないという制限が考えられる。
しかし、うっかりしたことで深刻な事態になることも多々ある。
・うっかり遅刻した。
・うっかり彼女の誕生日を忘れた。
・うっかりタバコを消し忘れた。
・うっかり押したボタンが核ミサイル発射ボタンだった。
これらは実際「うっかり」であり得る行動だが、
それぞれ、クビ、離別、火災、人類滅亡という深刻な事態を引き起こす
(そう思うと『うっかり八兵衛』も笑って許せなくなってくる)。
また、①の場合と同様、何をもって“深刻”と判断するかも問題になる。
その事態が深刻であるかどうかは人によって見方が違い、
深刻さを感じる部分にも個人差がある。
旦那の帰りが遅いことを悩む人もいれば、早いことを悩む人もいるのだ。
さらに同じ人でも、交際中は毎日会えないことを深刻に悩んでいたのが、
結婚後は毎日会わなくてはならないことを深刻に悩むのである。
こうした多様な状況を踏まえた上で
“深刻さ”を細かく定義することは不可能であり、
ゆえに②をもって使用を制限することも難しい。
③意図的に行動した場合は用いてはならない
最後に考えられるのが、
行動が意図的である場合には使用できないという条件である。
「悪い内容」の例文にも登場した、
・うっかり振り込め詐欺をしてしまった。
・うっかり課長の悪口を広めてしまった。
・うっかり隣の奥さんと不倫してしまった。
などもこれにあてはまり、また良い内容であっても、
・うっかり人助けをしてしまった。
・うっかり選挙に当選した。
・うっかりノーベル平和賞をもらった。
などは、「うっかり」の用法として不適切である。
このことから、意図的な行動(もしくはそれによる結果)については
「うっかり」を使用できないというルールも有望に思える。
しかし、意図的な行動でない場合にも、使用できないケースが多々存在する。
・うっかり背が伸びてしまった。
・うっかり声変わりした。
・うっかり還暦を迎えた。
・うっかり死んでしまった。
これらは明らかに意図した行動ではないが、
こういう使い方は許されていない。
従って、③についてもルールとして用いるには不十分である。
こうして考えてみると、
「うっかり」という言葉の使用を制限する理由は
明確には定義できないことが判明した。
私は議論に負けるのが嫌いである。
特に年下に負けるというのは大変なストレスになる。
従って、この話題については二度とKと話さないことにした。
ただ、ひとつだけ問題がある。
Kがこのブログを知っているのである。
うっかり、書いてしまった。
※この記事は2007年までに公開した内容の修正・再掲載です。
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