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レコード神社「イマジネイション通信」原マスミ

和製 Dub Pop の傑作アルバム

このCDを初めて聞いたとき、ふと和製dub Popなる
印象がすぐに浮かんだが

そもそも ダブポップというジャンルは存在しいているのか?
疑問になり おーい! google先生

検索結果:Fishmans , Polaris
なるほど。 納得である。
原マスミ氏の音楽は唯一無二である事を
ここに記しておきたい。

生き物としての音楽体験

CDを聴き終えると
言葉と音のみで意識に変革をもたらす
シャーマンに出会ったかのような錯覚を覚える。

映像が宿る言葉の数々がなんとも言えない甘美な声で
神話的時間軸の中でこだまする。
神様とのおしゃべり
この魅力に引き込まれた。

近年の盛り上がっている
音と映像の同期、プロジェクションマッピングのように
映像がまず初めにあって音楽が入ってくるのではなく
言葉から映像が紡ぎ出されて行く感覚
言葉が映像を連れくるのである。

言葉が連れてくるもの

フィッシュマンズが歌っていたのが
「日常のスリッツ(裂けめ)」で見つけた
終わりも始まりのない場所で
なんとなくみんなが思っていたけど
口に出すことが出来なかった言葉で
日常からの「心の旅」インナートリップ経路を発掘した
と仮定するなら
フィッシュマンズは
<日常>にダブ処理をかけながら
心のロングトリップ、サマーバケーションに
行ってしまったと言えるんです。
夏風邪をこじらせながらではありますが。

原マスミさんが歌われることは
社会の中で忘れてしまった
私たちの「神話」と言えるのではないでしょうか。
神話が伝えることは、
愛と死が人間に仕込まれていることです。

心の一番柔らかい場所に届く
無邪気さや自由なイマジネーション。
意図的に表現された言葉で違う場所に
<跳ぶ>のではなく
人間に組み込まれた心の言語を使って
忘れてしまった事を思い出させる
イメージの力。
心が活発になった場所からのインナートリップ。

イメージがやって来る場所

自由なイメージの中には
死のイメージがつきまとうのですが、
その死は不幸や恐怖といった人間が
後付けでつけたイメージではなく

生と死が共存している循環である事を感じさせます。
意識や深層心理の深い場所から噴出してくる創造性。

人間にとっての歌の発生
その源泉に触れる触れることができる
数少ない音楽ですよ。

やっぱりすごいアルバムですよ。




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