レコード神社「B2 unit」坂本龍一

コーネリアスと坂本さん

このアルバムを初めて意識したのは、
ネット記事でコーネリアスが、坂本氏にお会いした時
「B2 unit」にサインを書いてもらった等の記事を読んだことがあり
それ以来ずっと気にはなっていた。

きっと実験的な音像が広がるアルバムなんだろうな〜
と勝手にイメージしていた。坂本氏の音楽には
500年残る名建築のような趣を感じるのは私だけでしょうか。
シンプルなメロデイーでありながら心に残る垂直性
独特な空間を描いていく音色
などなど、語りつくせない魅了が山のようにあります。
今回も一緒にDIGりましょう。

YMOのB面

1980年発売のこのアルバムには
YMOでやれないこと、坂本氏が個人でやりたいこと
が集約されているのではないだろうか。
YMOのアルバムではないけれど
YMOを内側から覗くことできるアルバムとも言える。
音楽が作り出されるエンジンの構造
その機能美を堪能する
そういった行為にとてもよく似ている印象を受けた。
原初の発動性ともいうべき
音楽のはじまりにずっと根ざしながら歩いてきた
ピテカントロプスが独自の進化を遂げて
シンセサイザーで未知なる惑星との交信のように

音響的魅力、音色の探求

『音色にも著作権が必要』
うろ覚えだが、坂本氏がどこかのインタビューにそう答えていた。
DUBからの音響的な影響ももちろん感じる。
DUBは楽曲に音響的処理(リバーブ、エコー)を与えることによって
何を作り出したのか?
こだま(リバーブ)が導く音像の気持ち良さなのではないだろうか。
ジャマイカのうだるような暑さの中を
サウンドシステムを用いて’都市の祝祭’を作り出すためには
既存の音楽を変える必要があった。
ハードロックは土地になじまないし、カントリーじゃ踊れない
その土地でしか生み出すことができない音楽
人間の音楽的の欲求に両足どっぷりハマっているところで
鳴り響いているのがDUBなのである。

洞窟に絵を描いたネアンデルタール人

限られた環境で日常を日常を忘れるために開催される祭り
洞窟に絵を描いて、狩猟の成功を祈ったネアンデルタール人と
そこまで私たち<人間>に違いはないのである。
なぜ、洞窟に書かなければならなかったのか?
暗さと、音が響くことが<祈り>に必要だからだ
日常を、生活を<祈り>に導くために音楽が必要なのである

DUBの素晴らしさは 人間の原初性に立ち戻す力があることだ。
<聴覚から脳みそを揺する>ことを実直に行ってることであり
この未開ともいえる音楽的行為を
文化、や西洋文明のに分断されることなく
生活の場から産み落とされたことが驚愕である。
近年、インターネットの発展により
それぞれの<洞窟の中で>新しい<こだま>が
産み落とされてくることに期待を膨らませていたい。

個人に戻れる音楽

80年代バブル花盛り。
『B2 unit』は人間が 
人ひとり、個人に帰ることができる<避難所>を作ったのではないだろうか
誰かと共有して一緒に盛り上がりたいというよりも
この響きに一人落ち着いて、耳をすませたい欲求に駆られる。
私だけの<洞窟で>鳴り響く色あせることがない
民族音楽なんです。
他社と同じようにユニクロを着てマック食べて
消費することで宣伝してといった経済活動の
末端を知らず知らずにになってしまっている
私の<防空壕>かもしれません。

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