見出し画像

「カッコウの卵は誰のもの」を読んで

カッコウの卵は誰のもの(東野圭吾)

オリンピックに選出されるほどの実力を持っていたスキーヤー緋田宏昌は,妻の死をきっかけに自分の娘が実の娘ではないことを知る。
娘が父以上のスキーヤーになりつつある中,緋田は本当のことを娘に打ち明けるべきか苦悩する。

 私がこれまで歩んできた人生において,「人にはついていい嘘と悪い嘘がある」という言葉がどうも腑に落ちなかった。
ついていい嘘などなく,正直でいることがもっとも誠実でたしかな生き方であると信じてきたからだ。
しかし,この本ではそれが本当に誠実なのか,まわりの願いなのかと質問を投げかけている。

 ついていい嘘なんて,自分にとって都合のいい解釈をしているに過ぎないと考えていたが,その人たちの背景を知ることの重要性を知った。
何も知らないで頭ごなしに良くないと正義感をぶつけることほど危ういことはないのかもしれない。
同時に,自分の回りにいる人の存在がいかに大事なのかも悟った。一人では判断に誤りそうでも,周りの助言で別の視点から物事を見れるようになり,進むべき道が開かれることもある。

 筆者の「虚ろな十字架」でもそうだったが,自分の考え方を改める必要性を教えてくれた本であった。