「アメノフル」「しのびごと」のみたらし三大、もともと二人だった説

「しのびごと」は現在、ジャンプで好評連載中の最近乗っている作品だ。

作者は原作がたけぐし一本先生、作画がみたらし三大先生。

同じコンビで挑んだ前作の「アメノフル」は残念ながら短期打ち切りという結果にはなってしまったが、後半の方の話題になりようが尋常ではなく、見つけられるのがあと少し早ければ……と口惜しく思っていた。

今回の「しのびごと」についても序盤こそ型にハマりすぎてる感はあったが、前回のような爆発を期待するファンの下支えによりいくつかの改変期を乗り越えて、今かなり波に乗っているように見える。

そんな彼らだが、もともとはみたらし三大先生のみでの活動が主であった。

自分がみたらし三大先生と出会ったのはいつかのジャンプGIGAに乗っていた「災害少女」という作品からだ。
その頃からTwitterのフォローもはじめ、いくつかの読み切りも欠かさずチェックしながら、今現在まで少なくとも表に出ているもので漏らしている情報は無いのではないかと思う。奇しくも出身が同じで、先生の母校のホームページには「活躍している卒業生」で本名と一緒に名前が載っていた。

さてみたらし先生のそれからだが、GIGAの読み切りからは、およそ一年おきくらいのペースでアプリのジャンププラスや本誌などで読み切りを掲載していた

そんな中、突然始まった連載。それが「アメノフル」だ。
定期的な読み切りは載せていたものの、特段近未来杯やGIGAでの短期連載などがあったわけでもないので驚いたが、それ以上に驚いたのが突然原作に「たけぐし一本」先生が入ってきた事だ。

彼らのコンビはそれまでには無く、どころかたけぐし一本という名前を検索しても全く出てこない。
そもそもたけぐし一本とかいうみたらし三大に合わせて作りましたよーという感がアリアリすぎる名前もなんとも胡散臭く、最初に見た時は、はたして連載にあたってみたらし先生に何が起こったのか全く想像もできなかった。

そしてそして、連載を読み始めたらまたまたびっくり。

あまりに変わってないのだ。作風が。

原作が同じというならまだしも、みたらし三大先生は作画の担当のはず。なのに、アメノフルという作品にはこれまでのみたらし三大作品のエッセンスをふんだんに盛り込んだキャラクターや雰囲気、セリフや設定などが随所に展開されている。


「絶対にこれまでと書いている人は変わらないはずだが、何か事情があって自分自身を原作と作画の二つの名義としたのだろう」

これが当時の私としての結論であった。
その行為にどれだけのメリットがあるのかは分からない。ただアーティストなんかでも歌手としての名前と作詞作曲をする上での名前を分ける人はたまに聴く。そういうものの一つなのだろう。

しかも当時は、ドクスト、ゆらぎ荘、約ネバ、アクタージュ、ソーマ、(タイパラ、)など近年稀に見る大「作画原作別れてる」時代だった。別れてる方が人気になるという雰囲気、とまでは流石に言い過ぎだが、商業的な狙いも多少はあるのかな〜

と漠然と、そう考えていた。

しかし、現在「しのびごと」の連載が始まり、なかなか軌道に乗り始めてるところで一つ、これまでの考えだとどうしても無視できない問題が生じてしまった。


それが、
みたらし三大、働きすぎ問題。
だ。

みたらし三大先生はもともと映像系の仕事に勤めていたらしく、アメノフルで週刊連載となった際に、休職して漫画に専念した。とwikiには書いてある。

そして、アメノフル連載後は「みたらし三大」名義で様々な映像作品に携わっている。

おそらくアメノフル前でも同様の仕事をしていたがその時はおそらく本名かそもそもクレジット無しなどだったと考えるのが自然だろう。

ジャンプに連載した、という箔によって、みたらし三大として携わったと言えるようになった。おおかたそんなところではないだろうかと最初は思っていた。

そしてまた、その関わっている相手がすごい。ポケモン、らんま1/2、壱百満点原サロメ。ジャンルに一貫があるわけでも無く、仕事の中身もバラバラなので、おそらくそれぞれが外注した企業に偶然、雇われとしてのみたらし三大先生がいた。というだけではあるんだろう。

ただ何がおかしいって、その仕事量が異常なのだ。
そもそも週刊連載をしながら何か別の仕事を受ける、という事自体が普通の範疇を大きく逸脱してるのだが、出てきてるのは映像作品。しかも自分の絵柄が動いているものとなれば、それだけで週刊連載と同等の作業量になってしまうはずだ。

しかし、みたらし三大先生は次から次へと関わった仕事が出てくる。

作画のみの担当としたって常人にこなせる仕事ではないはず、さらに原作までなんて手塚治虫でもない限りは無理だろう。
これにより先程の「みたらし三大とたけぐし一本 同一人物説」がかなり怪しいものになってきている。


という事で改めて考えてみると、

当然、たけぐし一本先生は存在していて、アメノフルで突然抜擢になったのも、これまで別のペンネームを使ってた人が新たに作画に合わせたペンネームで再デビューを果たした。と考えるのが自然の流れだ。


しかし、理屈では分かっても、自分の本能の部分が叫んでいる。
「これまでの全ての作品は、全く同一の作者から生み出されているに決まってる」と
あの日、自分の心を捉えた「災害少女」の空気は今の「しのびごと」にも確実に流れている。

それを前提として考えた時に、自分はもう一つのある可能性に気がついた。

それが
「みたらし三大はもともとコンビのペンネームだった説」
だ。

これなら全て説明がつけられる気がするし、連載するにあたっては名義を分けた理由。というのもなんとなくわかる気がする。

メディアへの露出も限られるし、自分単体として売っていくことはできない、趣味から先のビジネスに行った時に大きなトラブルの元となる可能性はある。特にみたらし三大先生のその後の活動についても、二人で共同ペンネームとする前と後とで名前の出し方を変えているという部分で納得が行く。

前述の母校のHPに出たのだって、二人に分裂してアメノフルの連載が始まったときだったし、みたらし三大名義で仕事を受け出したのも、アメノフルの後。つまり分裂したその後からなのである。これもおそらく二人のペンネームで作画のテロップに載る、ということによるトラブル防止なのではなかろうか。

たけぐし先生の名前は、ポッと出ではなく、ここまで何作品も一緒にやってきたからこそ、ニコイチのような名前でも問題は無い。ということとも取れる。


二人で一つのペンネームってそんなこと本当にあるのー?と感じる人もいるかもしれない。
例として思い浮かぶのはやはりゆでたまご先生。最近で言えばバクマンの主人公二人も一つのペンネームを使っていた。

だから、別に何か問題がある。ということでは無いのだろう。
ただ、初の連載にあたり、今後どう転んでもより柔軟な対応ができる方で……と考えた時に、ちゃんと本来の二人に分割しといたのでは。
というのが今の私の結論だ。


もちろんこれはあくまで妄想であり、ファンの勝手な妄言に過ぎない。

ただ、初期からのファンだからこそ少しモヤモヤした気持ちがずっと溜まっている部分ではあるため、今後どこかのタイミングで理由等が明らかになれば嬉しい。

もし興味を持った方は、是非現在週刊少年ジャンプで連載中の「しのびごと」をよろしくお願いします。
面白かったらアンケートを入れてくれると作品の寿命が伸びて私も喜びます。
では。

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