記憶と審美眼
幼い時の映像作品や文書におけるインパクトは
その人の審美眼を形成するのに
大きな影響を与えると思っている。
私はいつか見た作品のワンシーンが
どうしても頭から離れないと言うことがよくある。
なんの映像作品だったかわからないこともある。
しかし、それらは確実に私の審美眼を形作ったと言えよう。
そしてまた、それらを探し出す作業も
私にとっては胸を高鳴らせるとこの一つなのだ。
例えば、私の記憶を頼りに探す時に
印象に残っているシーンを洗い出すと
・若くして亡くなった母と子が瓜二つ
・真っ赤な部屋と琵琶を持った美しい娘
・栗山千明さんが演じていた。
それらのキーワードをネットで検索をかけたり、
栗山千明さんの出演作品を遡ったりして探し出した。
そのシーンは横溝正史作品の金田一耕助シリーズ
「女王蜂」と言う作品のものだった。
元SMAPの稲垣吾郎さんが金田一耕助を演じたシリーズで
栗山千明さん演じる智子を廻り
婿候補たちが競う中、殺人事件が次々と巻き起こる。
(栗山千明さんは智子の母、琴絵も2人一役で演じてらっしゃっいます。)
久々に見返したそのシーンはやはり美しく、
幼い私の目にしっかりと刻み込まれるだけのインパクトがあった。
そこに憧れと尊さを感じ取り、
それを美しさの基準とした。
その積み重ねが私を成している。
何を美しいと感じるか。
それは人生観にも影響が出ると思う。
だから、私は何も妥協したくない。
私の美しいと思える私の世界を創りたい。
美しいと思えるものしか見たくない。
人生は短いのだ、
目に映るものすべてが一瞬で
目の前を過ぎ去っていくのだから。
その全てを糧として吸収したい。