「究極のダイエット食」
職場に忘れた「ハーモニー」の文庫本を回収して休憩時間に少し読み進めたのどけれど、僕が危惧したような思想の極端さは、とっくの昔に作中で指摘されていて、自身の浅はかさを思い知る今日この頃です。
中途半端な感想を書くとまた恥をかきそうなのでやめておきますが、作品の感想でなければ大丈夫、ということで、「ハーモニー」を途中まで読んで考えたことを書き連ねてみます。
最近の僕の関心を一言でいうと「ゲーム化してしまった現実の再現実化」という感じになるのですが、要するに、ゲーム的な「面白さ」が半ば強制的に求められるようになってしまった「現実」を、面白くても面白くなくても存在できるものにするにはどうすればいいのか?みたいなことです。
まぁ、「面白い」か「面白くない」かだったら、そりゃ面白い方がいいとは思うのですが、世の中の「面白い話」ってその大半が大なり小なり誇張されていたり、そもそもフィクションだったりで、面白くなるように"加工された"物語なんですよね。
いま書いてる僕の日記も客観的には「面白くない物語」に該当しますが、面白くないなりに世界には存在していたいというか、「あなたは面白くない日記を書く人ですね!いいね!」と、世界から承認されたいのですよ。
いやいや、「普通に面白い日記を書けばいいだけじゃん!」って思ったそこのあなた。確かにその通りなんです。全然間違ってません。
僕が「面白い日記」を書き続ければ、いろんな人から認められて、仕事を貰ってお金を稼げたりして良いことづくめですからね。
んー、冷静に考えると、「面白くなくても承認されたい」はちょっと言い過ぎだったかもしれませんね。
現在の資本主義と民主主義を基調としている世界に生きる以上、面白くないものが"良いもの"であると認められるのは無理ゲーです。
「存在自体が許されない」とかになると話は別ですが、いまのところはまだ大丈夫そうです。
(ジェンダーバイアスはかなり近いところまで来てるとは思うけど)
たぶん僕が求めてるものって、「どれだけ食べても太らないし美味しい食事」だと思うんですよね。
少しだけ「ハーモニー」の中身に触れますが、ミァハが創り出したとされる「身体が栄養を受け付けなくなる薬」、作中では人を死に至らしめる「毒」として扱われるのですが、少し見方を変えると、この薬があればどんなに肥満の人がお腹いっぱい食べ続けたとしても健康でいられますよね?
「毒薬変じて薬となる」、などと言いたいわけではなくて、「ハーモニー」の極端に健康的であろうとする世界をディストピアにしないために必要だったのは、「心を満たす科学」だったんじゃないかと思うんですよ。
あーあ、結局中途感想語っちゃいましたね。まぁ、いいか。
話を日記の冒頭まで戻すと、「ゲーム化してしまった現実の再現実化」、つまり、面白くない現実をゲーム化することなく可能な限り現実のまま扱う方法とは、「ミァハの薬を転用すること」なのではないか。
ミァハの薬を使っていくら食べても太らなくなった食事が、社会や健康のためではなく個人の欲求を満たすために存在できるのなら、面白くない現実もゲーム化することなく個人の欲求のために存在できるはず。
では、現実における「ミァハの薬」とは一体何なのか?!
・・・はて、なんだろう?
いくつか仮説を立てることもできるけど、ちょっと長文になっちゃったし、これ以上は「ハーモニー」を読み終えてから考えてた方がいい気がするので今日はここでおしまいです。
うーん、ほんと何の日記なんだこれ?