
萬の事に付て、帳面そこそこにして算用細かにせぬ人、身を過るという事ひともなし 井原西鶴
複式簿記導入の遅れが生む日本の公会計問題 ~個人の思索~
国や地方公共団体の公会計に複式簿記を導入する手続きが少しずつ見られるようになりました。 しかし、私の目から見ると、その導入は非常に限定的で、まだ十分とは最近言えません。
さらに注目すべきは、今後取り沙汰されている政治資金規正法の問題が、この公会計問題と同根のものであるという点だ。政治資金の透明性を高め、正確に資金の流れを記録するには、やはり複式簿記のような高度な会計手法が優先である。このような問題がなぜ改善されないのか、その背景を考えると、日本社会の会計に対する文化的な態度や公的会計制度の構造上の欠陥が大きく影響しているのではないかと感じる。
歴史的な背景が生む透明性の欠如
日本では、歴史的に「理想」や「正義」といった抽象的な価値観が重視され、具体的な「事実」や「実務的な透明性」が軽視される傾向がある。
この背景を考えると、現在の日本の公会計が単式簿記に依存し続ける理由も見えてくるような気がする。
さらに、政治資金規正法運用においても同様の課題が認識される。
部分的な複式簿記導入の限界
確かに、一部の地方自治体では複式簿記の導入が進んでいる。 しかし、それは一部であり、まだ制度全体に取り組んでいるとは言えない。
私自身、この問題に対して疑問を持たずにはいられない。 なぜ政府や地方自治体は、複式簿記を全体的に導入しないのだろうか?
また、政治資金規正法の問題にも同じことが言える。
公会計改革の必要性
複式簿記の重要性を考える、私は江戸時代の井原西鶴の教えを思い出した。 彼は、「帳簿をつけることの重要性」を説いていた。 当時の商人にとって、帳簿は事実を記録し、透明性を確保するための最も重要なツールだった。
この告発は、現在の公会計にも同様だ。仮に政府や地方自治体の資金の流れを正確に記録しないのであれば、不正や浪費が発生するのは当然だ。そして、それが現実しにくい環境では、説明責任も果たされない。この点で、日本の会計制度は井原西鶴の時代から逆行しているようにも感じられる。
おわりに
最後に、日本の公会計制度が徐々に問題を考えてみたい。複式簿記を導入することで、公的資金の流れを透明化し、不正や浪費を阻止できる可能性が高い。
日本公会計に複式簿記を全面的に導入し、その活用を徹底することが必要だろう。政治資金規正法における不透明性の問題も、この流れの中で解消されていくはずだ。この改革は簡単ではないが、日本社会が新しい段階に進むための大切な一歩になると私は考えている。これからも、この問題について考え続けたいと思う。