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守破離と型なし若者たち
こんにちは、皆さん!今日はNHKのアナザーストーリーで感銘を受けた言葉について語りたいと思います。この言葉には深い教えが込められていて、現代の若者たちが「パワハラ」や「モラハラ」を理由に先輩から型を教えてもらいにくい風潮についても少し触れたいと思います。まあ、まずはリラックスして、コーヒーでも飲みながら読んでくださいね。
そのNHKの番組案内をサイトより転載します。
NHK アナザーストーリー 越境する紅テント〜唐十郎の大冒険〜
初回放送日:2024年5月27日
この5月4日亡くなった劇作家の唐十郎。唐率いる状況劇場、通称“紅テント”は6~70年代、文化的事件だった。劇場に頼らず、神社の境内や河原にテントを張り、全国各地で芝居を上演。それは日常に突如出現した異空間。唐は独裁政権下の韓国や中東パレスチナの難民キャンプでも芝居を敢行、時空を超えて記憶に刻まれる。歌舞伎の大名跡、十八代目中村勘三郎にも強い影響を与えた。常識に抗い、演じることに命を賭けた男の冒険。
守破離とは?
まず、「守破離」という言葉を説明しましょう。これは千利休の教えに由来するもので、修業や鍛錬のステップを示しています。簡単に言うと、次のような段階を踏むことが重要です:
守 - まずは師匠から教わった型を徹底的に守る。
破 - 型を身に付けた後、既存の型を破り、自分に合った新しい型を模索する。
離 - 最終的には型から離れ、自在となる。
このプロセスを経ることで、新たな流派が生まれるのです。ここで重要なのは、「本を忘るな」という教え。基本の型を会得しないままにいきなり個性や独創性を求めると、ただの「形無し」になってしまうということです。
型破り vs. 形無し
「型破り」と「形無し」、この違いが分かりますか?無着成恭さんはこう言いました:「型がある人間が型を破ると『型破り』、型がない人間が型を破ったら『形無し』」。十八代目中村勘三郎さんもこれを座右の銘にしていたとか。要するに、ちゃんとした基本があって初めて、それを超えることができるんです。
現代の若者と型
さて、ここからはちょっと真面目な話。最近の若者たちは、「パワハラ」や「モラハラ」を理由に、先輩から型を教えてもらいにくい風潮があります。確かに、無理やり何かを押し付けるのは良くないことです。しかし、その反動で基本の型を学ばずに自己流でやってしまうと、それこそ「形無し」になってしまうのではないかと心配しています。
昔は、先輩から厳しく指導されることが当たり前でした。その中で型を学び、守り、破り、離れていく過程があったのです。しかし、今はそのプロセスが失われつつあります。
ユーモアのスパイスを少々
でも、ここで重くなりすぎるのもなんですから、少しユーモアを交えて話しましょうか。例えば、もし千利休が現代にタイムスリップして、若者たちに「守破離」を教えようとしたらどうなるでしょう?「千利休さん、パワハラです!」「いやいや、これは茶道の基本だから…」「でも、それってモラハラですよね?」なんて会話が繰り広げられるかもしれませんね。
あげくの果てに、「千利休ってジジイ、ホンマに老害だよね」なんて、言われかねないのが現代の風潮です。
結論
結局のところ、大切なのはバランスです。基本の型をしっかり学び、その上で自分の道を切り開いていくこと。それが「守破離」の真髄であり、現代の若者たちにもぜひ意識してほしいことです。
また、教える側も相手の話をよく聞き独りよがりにならないことですね。「聞くこと7割、教えること3割」ですよ。
さて、今日はここまで。皆さんもぜひ、自分の「型」を見つけて、それを守り、破り、そして離れてみてくださいね!
では、また次回お会いしましょう。